【映画「敵」長塚京三インタビュー】“独居老人”が主人公の異色作が大ヒット 「同年代の友人から“いい仕事したな!”と言われました」

エンタメ 映画

  • ブックマーク

パリへ留学して俳優デビュー

 長塚京三さんは、東京出身の“江戸っ子”だ。大学は、早稲田大学の演劇科に進学した。

「特に、それまで演劇をやっていたわけでもありませんし、芝居好きだったわけでもありません。まあ、出来心ですよ」

 当時の早稲田大学には、「演劇研究会」や「劇団自由舞台」など、いくつかの学生劇団があった。長塚さんは、そのひとつ、「劇団木霊」に入る。

「当時、いろんなサークルの部室が集まっている21号館の裏手に、バラックですが稽古場がありました。そこを、いくつかの劇団が交代でつかうのですが、うちは主流ではないので、肩身が狭かったですね。久米宏さんや田中真紀子さんもいました。ぼくは裏方が多くて、あまり役がつきませんでしたが」

 やがて、早大を中退し、パリ・ソルボンヌ大学へ留学する。

「これも、特に深い意味があったわけじゃないんです。たまたま大学がストライキに入ったりしたので、ちがう環境に飛び込みたいなと思った、その程度の理由です」

 そして1974年、フランス映画「パリの中国人」(ジャン・ヤンヌ監督)で俳優デビューを飾る。

「たまたま語学の先生が、映画界に人脈のある方で、オーディションがあることを教えてくれ、受けたら通ったんです。毛沢東主義がヨーロッパ中を席捲するという、政治パロディの群像劇で、娯楽大作でした。ぼくの役は中国人の将軍役です。初めての映画は、とても楽しくて面白かったです。毎日、ピクニックにでも行くような気分でした」

 パリには、6年間いた。帰国後は、TVドラマ、映画、舞台などで本格的な俳優活動を展開する。

次ページ:人生の最期にお仕置きが……

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。