エリザベス女王の夫「フィリップ殿下」の「大喪の礼」参列はなぜ物議を醸したのか…戦争の傷跡を超えて紡がれ続ける皇室と英国王室の絆

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英国で沸き起こった「参列反対」の声

 1989年2月24日、雨に濡れた新宿御苑で昭和天皇の「大喪の礼」が執り行われた。国内外からの参列者はおよそ1万人。各国首脳をはじめとする海外要人の参列者は、国際ニュースとして大きく報じられた。第二次世界大戦の終結から40年以上がすぎ、冷戦が終盤に入っていた当時、国際社会における日本の位置づけを確認する目安のひとつでもあったからだ。

 英国で起こった議論も日本に“現在地”を伝えるものだった。「天皇ヒロヒト」の葬儀への参列を疑問視する、あるいは明確に反対する声が上がったのである。退役軍人を中心に反発が強まるなか、英国政府は使節団の顔ぶれを発表した。英国王室からはエリザベス女王の配偶者であるエディンバラ公爵フィリップ殿下、閣僚からは外務大臣のジェフリー・ハウ氏である(現在のエディンバラ公爵位はエドワード王子が引き継いでいる)。

 英国における海外弔問の使節団は、一般的にロイヤルファミリーと閣僚で構成されるが、原則として君主は加わらない。エリザベス女王が参列した唯一の例外は、1993年のベルギー国王の葬儀だった。大喪の礼の当時、女王代理の最上位だったフィリップ殿下という人選は皇室と英国王室の固い絆を反映したものだ。一方で来日時の行程には、英国の国民感情に対する配慮が盛り込まれていた。

 そのてん末を伝える「週刊新潮」(1989年3月9日号)の記事からは、時代の変化を感じることができる。大喪の礼から36年、皇室と英国王室は親交を深め続け、2024年6月の天皇皇后両陛下の英国訪問もつつがなく終わった。そうした親交の過程が示すものとは、国と国の関係はまず人と人から始まるという、極めてシンプルで重要な事実でもある。

(「週刊新潮」1989年3月9日号「『大喪の礼』異聞 天皇『レセプション』を欠席したエジンバラ公」より。「エジンバラ公」の表記および役職等は掲載当時のまま)

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到着は大喪の礼前日の午後9時

 ホワイトハウスがそのまま東京に移ってきたと言われた米国の大使節団は別格としても、フランスはミッテラン大統領、デュマ外相以下60名、西独とイタリアもワイツゼッカー、コシガ両大統領が来日した。サミット参加国はおおむね横並び。ブッシュ大統領、ミッテラン大統ともに積極的に弔問外交を展開した。

 そのなかにあって、なぜか目立たなかったのが英国。ハウ外相、エリザベス女王の夫君、エジンバラ公フィリップ殿下が参列したのだが、他の先進国に比べると“格落ち”の感がしないでもない。

 しかも、エジンバラ公が羽田に到着したのは大喪の礼前日の午後9時という慌しさ。同日の午前中、天皇、皇后両陛下が17カ国の国王や王族を赤坂御所に招いたロイヤルレセプションには、当然のことながら間に合わなかった。

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