映画と音楽を行き来する「岩井俊二」の才能 バンドも結成、“無音カラオケ”は「自分がやりたいだけ」

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第1回【岩井俊二の音楽遍歴 名作たちに広がりをもたらすセンスは、いかに育まれたか】のつづき

 映画監督の岩井俊二(62)は、横浜国立大学を卒業後、ミュージックビデオ(MV)やカラオケ映像などを手がけ、頭角を現してきた。監督としては1994年の「undo」で商業デビュー。だが、そこにたどり着くまでには葛藤もあったという。

(全2回の第2回)

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ドラマ的な要素が多い作品を

 MVやカラオケ映像の制作では、ストレスも感じていたという。

「MVなどはオーディオのトラックを一切触れない世界で、サイレント映画をやっているような感じでした。そればかりやっていると、たまには普通のドラマのように人が喋っているものをちゃんとやってみたいと思って。また、実はお金が一番儲かったのはライブ映像なんです。でもそっちに行っちゃうと、もう(ドラマや映画には)帰ってこられないと思ったんで、仕事は受けなかったですね」

 「できる限りドラマ的な要素が多い作品」を選んで受注するようになると、自然とそういう仕事が増えていった。「こういう映像なら岩井だ」と業界でも認識されてきたのだろう。東京少年の解散時、ボーカルの笹野みちるがベルリンに滞在しながら、バンド終焉の経緯などを浮き彫りにしていく「Getting Home」やFLYING KIDSのオリジナルホラー作品「DOBOCHON」はその最たる例だ。いずれも1991年の作品だが、前後するようにテレビドラマの監督・脚本なども手掛けるようになった。

漫画のアニメ化の音楽をきっかけに

 その少し前の1987年には、当時大好きだった、音楽をテーマとした漫画がオリジナルビデオアニメ化されたことがあった。

「めちゃくちゃ面白い漫画で、喜び勇んでビデオを借りてきたんです。この漫画のアニメ化だけは音楽をちゃんとやってくれよ、と思っていたのに、僕としては全然ダメでした。この作品でも音楽はこの程度なんだ、というのはものすごくショックでした」

 当時は日本映画に対し挑戦したい2つのポイントがあった。言語と音楽だ。前者については、多言語が飛び交う中で普通に会話が成立しているような、現実にはあり得ない状況がしばしば描かれることに「嘘のない映画を作りたい」と感じていたという。音楽については次のように語る。

「劇中でバンドが出てくるような作品で、最高だったと思えるような日本映画に出会ったことがなかった。海外だとすごいと思える音楽映画はたくさんあるのに」

 そうした気持ちが、映画「スワロウテイル」(1996年)、「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)につながった。「スワロウテイル」に出てくるバンド「YEN TOWN BAND」は、主人公を務めたCHARAをボーカルとした楽曲「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」を現実世界でも大ヒットさせた。「リリイ・シュシュ…」では、後年ソロデビューするSalyuを起用した。

「YEN TOWN BANDはCHARAの才能もありつつのバンドでした。『リリイ・シュシュ…』は小林武史さんに全権をお任せしたら。次々にいい曲が上がってきたので驚きました。劇中の設定にのっとりカリスマ的な人を起用する案もありましたが、あえて新人の子を使いました」

 これらを手がけた後、海外の映画プロデューサーから「また音楽映画をやらないのか」と問われたことがあった。自身では2作を音楽映画とは位置づけていなかったものの、確かにその見方はでき、そしてそれをやる映画監督が日本にいない、とも考えたという。だからこそ「音楽映画をライフワークで」との思いを強くした。それが結実したのが2023年公開の映画「キリエのうた」。この3本は岩井俊二の「音楽映画三部作」と呼べる位置づけにある。

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