岩井俊二の音楽遍歴 名作たちに広がりをもたらすセンスは、いかに育まれたか

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さまざまなアーティストのMVを

 大学卒業後には、桑田佳祐の「いつか何処か(I FEEL THE ECHO)」のミュージックビデオ(MV)を手掛ける機会が与えられた。アルバイトをしていたイベント会社の社長がサザンオールスターズの所属するビクターの関係者と知り合いという縁で紹介されたという。当初はメイキング映像の依頼だったが、桑田のスチル撮影のため江の島を訪れた際に、イメージシーンの撮影をプレゼン。採用され、MVも任されたのだ。

「その流れで、原由子さんのシングルのMVの話が来まして。でっかい照明機材などがある、本当のプロの現場を体験させてもらいました。その後、しばらくしてから東京少年のMVを手掛けるようになり、解散(1991年9月)まで続きました。解散時もわざわざベルリンまで行き、ショートフィルムを撮影しましたね」

 その後はMi-Keや初期のZARD、平松愛理や松たか子など、さまざまなアーティストのMVを手掛けた。

「最初の頃は、ほぼMV専業みたいな感じでやっていましたね。デモをカセットテープでもらい、ここでこれが来て、なんていうことを一生懸命考えながら、巻き戻しをしながら一つずつ絵コンテを作っていました。あと当時はカラオケ映像も作っていましたが、これはきつかった。MVだとミュージシャンが歌ってくれる分、話のネタを休める部分がありますが、カラオケだと全部アイデアで埋めなきゃいけない。1日に2曲分を撮らなければいけないとなれば、撮っても撮っても終わらない。体力の限界を感じても、まだこれだけ仕事が残ってる、みたいな感じでした」

 1995年に公開した映画「Love Letter」では、主演の中山美穂が歌うイメージシングル「CHEERS FOR YOU」のMVも手掛けた。映画の世界でも、音楽との関わりは深く続いていく。

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 MVなど音楽の仕事に携わりつつ、映画などの作品への思いも抱えていた岩井。第2回【映画と音楽を行き来する「岩井俊二」の才能 バンドも結成、“無音カラオケ”は「自分がやりたいだけ」】では、音楽と映画について、秘めたる思いを明らかにしている。

デイリー新潮編集部

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