【べらぼう】小芝風花が妖艶に演じる「花の井」改め「瀬川」のシンデレラ物語と転落
江戸っ子の心をとらえた瀬川の物語
ともかく、五代目瀬川を身請けした鳥山検校だったが、3年後の安永7年(1778)、高利貸しの不正が発覚してほかの盲人たちと一緒に処罰されてしまう。財産を没収のうえ江戸から追放されたのである。その結果、彼に身請けされた瀬川も生活の糧を失うことになった。
五代目瀬川のその後については、たしかなことがわからない。武士の妻になった、大工の妻になった、といった話が一部に記されてはいるが、いずれも確証がない。ただ、江戸っ子が彼女にかなり注目したことだけはまちがいない。
戯作者の田螺金魚は、鳥山検校が処罰された宝永7年刊行の洒落本(遊郭での女郎と客の駆け引きなどを描写した戯作文学)の『契情買虎之巻』で、五代目瀬川の身請け話を題材に、身請けされたために恋仲だった客とのあいだに悲恋が生まれたという、空想を交えた物語を書いている。「べらぼう」では今後、瀬川と蔦重の恋も描かれるようなので、『契情買虎之巻』に似た物語になるのではないだろうか。
それは史実ではないかもしれないが、『契情買虎ノ巻』に書かれたような話が、当時の江戸の人たちにとってリアルな物語だったという点では、時代をよく表した展開だといえるだろう。
六代目瀬川もたいへんな達筆だった
実際、その後も伊庭可笑の黄表紙『姉二十一妹恋聟』をはじめ、鳥山検校の瀬川身請けを題材にした作品は多く、この『姉二十一妹恋聟』には蔦重が関わっている。
天明4年(1784)に蔦重が刊行した北尾政演(山東京伝の浮世絵師としての名)の画による画帖仕立ての『新美人合自筆鏡』には、松葉屋の看板女郎たちが描かれ、そのなかに立ち姿の瀬川も描かれている。ただし、こちらの瀬川は六代目だが、その左上に書かれた自筆の文字は相当な達筆で、「瀬川」たる名跡を受け継ぐ女郎たちの才の一端が垣間見える。
ただし、瀬川をめぐる華やかな、それゆえに悲劇にもつながるエピソードは、あくまでも吉原を代表するレベルの女郎の話であった。大半の女郎たちにとっては、吉原が抜けられない「苦界」であったことに変わりはない。
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