良くも悪くも個性が強すぎる? 度重なる「怠慢プレー」に「職場放棄」まで…監督に造反した“お騒がせ助っ人”列伝
弟の交代に対する抗議と見做され
阪神といえば、“お騒がせ投手”として名を馳せたダレル・メイも、来日2年目の1999年、当時の野村克也監督を「あの監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手のせい」と英語で記した文書を報道陣に配る造反行為で無期限謹慎処分を受け、同年限りで退団した(翌年巨人に移籍)。
優良助っ人のイメージが強いランディ・バースも1986年シーズン中、週刊誌で「あれだけいろいろな間違いをする監督はいないね」などと吉田義男監督の采配を批判し、罰金と厳重注意処分を受けている。
ロッテのレロン・リーも前出のバース同様、優良助っ人としてファンに記憶されているが、来日2年目の1978年に、ある意味痛快にも思える造反劇を演じている。
8月14日のクラウン戦、2対0で勝利目前のロッテ・金田正一監督は9回、一塁手のレオン・リー(リーの弟)に代えて新井昌則を守備固めで起用した。
すると、レフトを守っていたリーも「自分も代わるべき」と勝手に判断してベンチに引き揚げてきた。これが弟の交代に対する抗議行動と受け止められる。
もし延長戦に入った場合、打撃好調のリーが頼りの金田監督は、再度守備に就くよう命じたが、リーは応じない。お互い言葉が十分通じないことも拍車をかけ、罵り合いの末、金田監督が「ゴー・ホーム!」と叫ぶと、リーはレオンと一緒に宿舎に帰ってしまった。皮肉にも試合は直後、エース・村田兆治が3点を献上し、逆転サヨナラ負けとなった。
翌日、金田監督は「チームの統制を乱した」として、リーに罰金とともに全員の前で謝罪するよう要求した。謝罪の場でリーは言った。
「いいか、みんな。今日の試合はいただこうぜ」。
通訳は空気を読んで沈黙。リーが素直に謝罪したと思った金田監督も「よしよし」と頷き、大団円となった。
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