HEY!たくちゃん、「鬼そば藤谷」を秋田に移転“芸人としての劣等感”克服…亡き佐野実さんに導かれ
移転を決意させた亡き佐野実さんの存在
とはいえ、秋田と並行して、実績がある東京に拠点を残す選択もできたはず。なぜそうしなかったのか。たくちゃんの答えはこうだ。
「もうご本人は亡くなってしまいましたが、僕の心の中にはまだ佐野実さんが生きていて、こういう時に『佐野さんならどう言ってくれるだろう』とどうしても考えるんです」
佐野実さんとは、2014年に亡くなった伝説のラーメン店経営者。テレビ番組でも活躍した。そのこだわった仕事ぶりから“ラーメンの鬼”と讃えられ、多くの弟子を送り出した。
「もし佐野さんに東京と秋田、両方の店をやるか迷っていますとお伝えしたら、きっと『どっちが本気なんだよ?』とおっしゃいます」
自分はどう答えられるのかを考えている時、たくちゃんの脳裏に浮かんだのは、秋田の素材で作った最高の一杯だった。
「それに僕は両方うまくできるほど器用じゃないから、中途半端なことは絶対にやらない方がいい――。佐野さんにお話しするつもりでしっかり考えたら、すべきことが見えてきました。返答は『秋田です!浅草は閉め、秋田で真剣にラーメンと向き合います』です。聞かれてすぐにこう答えられる自分じゃないといけないと思いました。秋田に住んで本気でやることもお伝えして」
たくちゃんは、実はラーメン店で修行したことはない。佐野さんをきっかけにラーメンにハマり、佐野さんのおかげでひらけた道を歩んできた。店名に「鬼そば」とつけたのも、「ラーメンの鬼」と呼ばれた師匠にあやかったものだ。その初対面は、まるでドッキリ番組のようだった。
「直接お会いする前からものまねをやっていて、佐野さんの講演会に佐野さんの格好をして行ったんです。質問コーナーで誰も手を上げない緊迫した空気の中、僕が質問し、『あまったれてんじゃねえよ!』と言ってもらいました。その後、楽屋へご挨拶に行ったら『お前、面白いやつだな』って。それからご一緒させていただくようになりました」
アポなしの上にものまね姿で、突如、講演会に現れたたくちゃん。佐野さんも会場の聴衆も驚いただろうが、佐野さんは笑って受け入れてくれた。そして佐野さんはたくちゃんにとって「ラーメンの全てを教えてくれた師匠」的な存在になる。
以降2人は交流を深め、イベントに参加する佐野さんの後ろを、ものまねしたたくちゃんが一緒に歩いて会場を盛り上げたこともあった。「うちのラーメンを食べて佐野さんのものまねでほめて」というラーメン店からのお願いを何度も受けたという。佐野さんに誘われて食事に行くと、ラーメン界の大御所が何人もいた。
「ずっと麺や出汁の話をしてるんです。『良い鳥が入ったら野菜とかニンニクとか入れないほうが美味しい』とか。僕はその話を聞きながら、ラーメンの知識と佐野さんものまねのネタをどんどん増やしていきました」
そしてたくちゃんは、2011年11月に行われた「東京ラーメンショー2011」のラーメン店主志望者発掘プロジェクトのコンテストで、優勝。唯一の業界未経験の参加者だった。そして翌2012年に「鬼そば藤谷」を渋谷に開店。つづいて「大つけ麺博2016」ではラーメン部門優勝、そして2019年にニューヨークラーメンコンテスト初優勝と、快進撃を続けた。
「もし佐野さんにお会いしなかったら、芸人のHey!たくちゃんは、とっくに終わっていたと思います。アゴまねでテレビに出るようになりましたが、一巡したら露出が全然無くなり、一時は高田馬場のラーメンレポーターしか仕事がありませんでしたから。でも佐野さんのまねをして交流したお店の方から、麺やスープに関する情報を教えてもらい、佐野さんから教えてもらったこととミックスし、ラーメンショーで優勝できたんです」
たくちゃんにとって佐野さんは、ものまねをする対象から、人生を変えてくれた人として、一生感謝し、尊敬する存在になっている。
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