HEY!たくちゃん、「鬼そば藤谷」を秋田に移転“芸人としての劣等感”克服…亡き佐野実さんに導かれ
ニューヨーク進出計画もあった
まず浅草の店を閉める理由は?
「更新料です。更新にけっこうなお金がかかることになり、この金額を出すなら、他にもっとできることがあるな、と思ったんです」
他にもっとできること――。まず頭に浮かんだのは、米・ニューヨークへの出店だったという。
「渋谷の店が火事でダメになったのが2023年9月22日。実はこのすぐ後、10月初めに開催された『ニューヨークラーメングランプリ』への出場が決まっていたから、どうしようかと思いました。航空券や向こうでの1ヶ月半分の部屋を押さえたのは、火事の3ヶ月前です。正直、アメリカに行ってる場合じゃないとも思ったんですが、直前だからキャンセルしてもほとんどお金が戻ってこない。自分の店をどうしたらいいかも決まっていないのに、行くべきなのか、悩みました」
だが火事の2日後に、心配した大学時代の先輩から現在の浅草の店舗を紹介され、「ここ、いいな」とピンときたという。移転のめどがたったことも背中を押し、ニューヨークへ。大会では日本から参加した強豪店を制し、10月9日、見事3度目の優勝を飾った。その際、先々のことを考え、現地のイベントプロデューサーに「ニューヨークでお店を開いたらいくらぐらいかかる?」と聞いてみたことがあったという。
「8,000万円~1億円ぐらいかかると言われました。そんなお金、3回ぐらい人生をやらないと貯められない(笑)。しかも、許可関係は日本の何倍もハードルが高いと言われ、店を借りてやるのは無理だ、ニューヨーク店を構える道は閉ざされた!と思いました」
しかし、この時のやりとりは、たくちゃんの中で消えていたわけではなかった。浅草店を更新しない場合の進路を考えている時に「店を構えないでも、キッチンカーを造って持っていけば、ニューヨークでラーメンを売れる、と思いついたんです」。とはいえ、キッチンカーを造るには時間も費用もかかる。準備期間などの現実的問題から、ニューヨーク行きはいったん選択肢から外した。ただしこの計画を、秋田でも生かす別の構想が頭に浮かんでいるという(後述)。
なによりニューヨーク案よりも惹かれたのが秋田への移転計画だった。なぜ出身地でもなければ住んだこともない場所に決めたのだろうか。
「同級生から『道の駅の食堂をやって欲しい』と声をかけられたんです。以前、誘われてその道の駅でイベントをしたことがあって、秋田の方々が作る野菜や肉の素晴らしさを強く感じていました。比内地鶏で取ったスープ、杜仲豚のチャーシュー、美人ネギ……いずれも質が高く、めちゃくちゃ美味しいラーメンができたんですよ。地元の素材を使ったカレーライスも作ったんですが、米が美味しすぎて、ついつい大盛りで食べてしまう。しかも、作り手はそれだけ素晴らしいものを作っているのに、決して威張らないし、どうすれば良い野菜や肉が作れるかをいつも考えているんです。秋田の方々はずっと僕のことを応援してくれていました。ラーメンの力でインバウンド観光客を呼び込んだり、秋田の方たちの野菜や肉をもっと有名にするお手伝いができれば、と思ったんです」
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