「孤独」と言われた画家 パウル・クレーの交流と創作の実像を探る展覧会

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「孤独の芸術家」の素顔とは

 パウル・クレー(1879~1940年)の創作の軌跡をたどる「パウル・クレー展 創造をめぐる星座」が愛知県美術館で開催中だ。特定のグループに属さず独自の道を歩んだクレーは、しばしば「孤独な芸術家」と語られる。しかし本展では、彼が多くの人とも交流し、歴史の荒波の中で模索し続けた姿が浮かび上がる。

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 例えばこの作品《赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー》。描かれているのはただの四角の連続。にもかかわらず、このそれぞれの四角はとらわれなく自由で、何色とも名付けようのない色たちが呼吸を合わせて遊ぶように連なってゆく。絵の前に立つと、とにかくその美しさに夢中になって動けなくなる。絵が何を表しているのか分からなくたってそんなことは構わない。とにかく吸い込まれるように見つめてしまうのだ。

 気付くと会場ではそんな風に見入っている人が何人かいる。

 展覧会場にはクレーの人柄をにじませる写真、クレーと同じ時代を生き、影響を与え合った仲間たちの作品も、クレーの作品と対話するような構図で展示されている。この展覧会では、クレーの人生と、その周辺をたどる旅ができるのだ。

 この展覧会の制作に力を注いだ愛知県美術館の学芸員、黒田和士氏に話を聞いた。

「クレーが同時代の前衛の画家たちと異なる点は、特定の芸術グループに意識的に所属していなかった、というところです。でもだからといって誰とも関わらなかったわけではありません。画家はもちろん、詩人、作家、音楽家、哲学者や編集者などいろんな分野の人と関わり、影響し合いながら、困難な時代を生きたひとりの人間でした」

 確かにクレーが語られる時、キャッチコピーのように「孤独」という言葉がつきまとう。しかしこの展覧会を見ると、クレーは様々な人に興味を抱かれ、評価され、温かく迎えられていたことがわかる。

 どこにも所属していないからといって孤独になるわけではない。むしろ所属していないからこそ、誰とも付き合えたとも言える。いい距離感で。

 黒田学芸員は言う。

「クレーとは会ったことがないのでわかりませんが、ものすごく人懐っこいとか、すぐに打ち解けるような人ではなく、どちらかといえば内向的だったと思います。でも〈自分は自分〉というものを持ちつつ、他の人を認めてゆく、そんな付き合い方ができる人だったのでしょう。そしてクレーは前衛芸術家です。誰もやったことのないことをやってゆくのが前衛芸術家ですから、批判は必ず受けます。それを一人で乗り越えてゆける強い人でもあったと思います」

戦争への無関心を貫く

 クレーを語る時に、二つの世界大戦は外せない。クレーはスイスに生まれ、そして画家としての活動の場にドイツを選んだ。クレーの創作期間は、第一次世界大戦、第二次世界大戦、この二つの世界大戦とすっぽり重なっている。

 黒田学芸員は、当時の空気感をこう語った。

「今では考えられませんが、当時ドイツで戦争を支持していたのは、労働者階級よりもむしろ知識人層でした。戦車が初めて登場したのは第一次世界大戦。まだ素朴な戦争のイメージしか描けなかった頃、クレーの周りの画家たちも、新しい時代を切り開くために戦争を必要だと考えていました」

 そんな戦争を歓迎する空気の中で、クレーはどうふるまったのだろうか。展覧会で見えてくるのは、戦争の熱狂から距離を置き、戦争への無関心を貫くクレーの姿である。

 ふと思う。その時代に生きていたならば、自分なら、どんなふるまいをしただろうか。クレーの生き方、生き様を自分の中にとどめ置くことは、大切な相談相手が心の中に同居することになるだろう。

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