「DA.YO.NE」のヒットから30年…54歳になった「GAKU-MC」が大切にするイマジネーションを生み出す“時間”とは
日本に空前のラップブームを巻き起こしたEAST END×YURIや桜井和寿と結成したウカスカジーでの活動も印象的なラッパーのGAKU-MCが、昨年ソロデビュー25周年を迎えた。 アルバムのリリースやライブ活動をこなした昨年に続き、今年も2月23日にランニング、サッカー、ライブを合わせた初のイベント「TRI GAKU LON(トライガクロン)」の開催が決まるなど、これまで以上に意欲的な活動を続けている。「本当にジェットコースターみたいな日々だった」と振り返るEAST END×YURIの活動休止から、ソロデビューを経て現在の活躍に至るまでの日々をGAKU-MC本人に語ってもらった。(全2回のうち第2回)
【写真】昨年デビュー25周年を迎えたラッパーのGAKU-MC
ブームがひと段落したタイミングで
1992年にEAST ENDの一員としてメジャーデビューを果たしたGAKU-MCは、当時東京パフォーマンスドールに在籍していた市井由理(YURI)と1994年にEAST END×YURIを結成。「DA.YO.NE」や「MAICCA~まいっか~」などのヒット曲を生み出し、NHK紅白歌合戦への出場も果たすも、1996年にEAST END×YURIが、1998年にはEAST ENDが相次いで活動を休止することに。GAKU-MCはキャリアの岐路に立たされることとなった。
「ライブ出演をきっかけにEAST END×YURIとして活動することが急に決まり、しかも予想外の大ヒットを記録したせいで、もともと予定していたメンバーのスケジュールにさまざまな影響が出てしまっていたんです。YURIは当初制作を進めていたソロアルバムが未完成のままでしたし、大学生だった僕も休学しながら活動を続けているような状況だった。ブームが一段落したタイミングで、それまで手付かずになっていたものを進めようと思ったことが活動休止に至った理由でした」
GAKU-MCは同級生がほとんど誰もいない学校に戻り、その後、大学を卒業。かつてのような日常を取り戻し、改めてEAST ENDとして再始動を図ることとなったが…。
小説を書いたことがきっかけで
「100万枚以上売れたはずなのに、元の男性だけのグループに戻った途端、何をすればいいのかさっぱりわからなくなってしまって…。『他の女性シンガーとユニットを作ろう』とか色々な案が出たんですけど、いまいちイメージがわかなくて。次の方向性が見つからず、EAST ENDの活動を休止することに決めたんです」
そんな迷いの渦中にGAKU-MCに一筋の光を灯したのは、1998年12月に新潮社から発売された小説『僕は僕で誰かじゃない』のオファーだったという。
「最初は編集者の方から『DA.YO.NEを書いたあなたの描く物語を読んでみたい』というお話をいただいて、僕もその気になって1年くらいかけて小説を書き上げたんです。それまでラップの歌詞を書き続けていたこともあって、文章を書くのは好きでしたし、リズムの付け方やボキャブラリーの積み上げ方を意識しながら文章を書いた時間は、自分にとっても良い刺激になりました。ラップと文章の違いを意識しながら原稿用紙に向き合った時間は、現在の僕の活動にも繋がっているんじゃないかと思います」
長期間腰を据えて小説を書き上げたことで、「自身の表現に対してすぐに反応がある音楽の魅力にも気付かされた」というGAKU-MCは、小説と同タイトルの楽曲「僕は僕でだれかじゃない-part for you It’s Gonna Be Alright-」を1999年2月に発売。
「完成させた小説に音楽を付けることが『自分らしい表現手法なのでは?』と思い始め、本のテーマソングを作るという発想で完成に至った」という楽曲でソロアーティストとしてのキャリアを歩み始めた。
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