阪神を初の日本一に導いた「吉田義男さん」逝去 張本勲が明かす“忘れられないエピソード”
張本勲が振り返る「吉田監督」の姿
張本勲さんも思い返す。
「私は吉田監督から声をかけられていて、日本ハムから阪神に移籍するはずでした。住まいのために宝塚に土地も買っていた。後から巨人の話が出て決定事項のようになってしまった。慌てて連絡をすると、嫌みの一言もなく“東京やし良かったなあ、頑張りや”と逆に励まされた。なんと懐の広い。今も忘れられません」
一方で江夏豊投手をトレードに出すとは冷酷だとか、コーヒーやちょっとした飲食代も球団などに支払わせるとはケチだと非難された。
85年、2度目の監督に。期待薄だったが、日本一を達成し、評価は名将に一変。
「バース、掛布、岡田にも例外なく基本重視を徹底していた。選手へのさりげない思いやりが感じられるようになり、守備位置の変更や起用の妙につながっていた。自宅を取材で訪ねた時、応接間に通され、おすしまでごちそうしていただいたのには驚いた」(吉見さん)
監督を離れても阪神の話ばかり
2年後の87年は最下位になって総スカンを食う。89年からフランスでゼロ以下の環境から野球を指導。
97年、3度目の監督に。負けると孫がいじめられる、こりごりだと思いながらも受諾。清原和博選手の獲得に動くなど積極策も見せた。
親しかった阪急の元エース、山田久志さんは言う。
「ゴルフによく一緒に行きました。“あの選手どう思う、あの采配は”と監督を離れても阪神の話ばかり。一番の応援団でした。80代半ばを過ぎても足腰が強くサッサと歩く。牛肉好きな健啖家で野球以外の人脈も広い」
2023年、岡田監督のもと阪神は日本一に輝く。
「岡田監督の成長を喜んだ。基本と守備を重視する岡田采配は吉田さんから受け継いでいます」(吉見さん)
昨年11月、阪神のOB会にも出席したが、2月3日、脳梗塞のため91歳で逝去。
天国も地獄も見たとは正直な述懐だろう。
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