阪神を初の日本一に導いた「吉田義男さん」逝去 張本勲が明かす“忘れられないエピソード”

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「今日の私がいるのは、吉田のおかげ」

 今年で40年がたつ。1985年、阪神の21年ぶりの優勝と初の日本一は、ファンを熱狂させた。チームを率いた監督が吉田義男さんだ。選手時代はスピード感あふれる最高の遊撃手と呼ばれた。

 吉田さんより年上の野球評論家、有本義明さんは振り返る。

「“捕るが早いか投げるが早いか”と絶賛された。身長は公称167センチ、実際はもっと低かった。小柄で肩も強いわけでなく、いかに早く送球できるか工夫。ゴロを両手で捕りに行き、グラブに収めたボールをすぐに右手に持ちかえた。ボールがまだ勢いを残して回転していて、よく突き指したと話してくれました。吉田さんの方に打球が飛ぶと観客が沸きました」

 同時期に巨人で活躍、比較された遊撃手が広岡達朗さん。その広岡さんは言う。

「今日の私がいるのは、吉田のおかげ。若い頃の私はてんぐになっていて、吉田というライバルがいないと堕落するところだった。体が小さかろうが技を見せてこそプロだと努力を怠らない。いい男でした」

“基本”を徹底

 33年、京都市生まれ。立命館大学を中退して53年、阪神に入団。1年目からレギュラーの遊撃手に。

「打撃も巧みで、カネやん(金田正一投手)に滅法強かった。(金田投手が)“このチビー”と投げてきても気にせず淡々としていた」(有本さん)

 69年に現役を退く。17年間で2007試合に出場。1864安打、打率2割6分7厘、66本塁打、434打点、350盗塁。盗塁王2回。

 75年、阪神の監督に就任。

 スポーツニッポンの記者として阪神を長年担当してきた吉見健明さんは言う。

「吉田さんは以来3度、合計8シーズンにわたり阪神の監督を担います。とにかく基本を選手に植え付ける指導で一貫していました。例えば、“ボール球に手を出すな”。当たり前のことを徹底して田淵(幸一)は、75年に王(貞治)を制して本塁打王を取っています」

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