「日産は人体でいえば“膝下まで壊死”」 ホンダが日産を見放した理由とは
“ホンダと日産が経営統合”というニュースが世を駆け巡ったのは昨年末。実現すれば世界3位の自動車メーカーが誕生するはずだったのだが、わずかひと月半で構想はご破算に。絶体絶命の日産はどこへ行くのか。
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両社のトップは12月23日にそろって会見。経営統合に向けた協議に入ることで基本合意したと発表した。今年6月には統合契約を結び、両社がぶら下がる形で持株会社を来年8月に設立させる予定だったのだが、
「ホンダは、業績が低迷する日産が再建策を明示することが統合の“絶対条件”だとしていました」
とは経済部デスク。
「昨年11月に日産が発表した9月中間決算は、営業利益が前年同期比90.2%減の329億円、純利益も93.5%減の192億円と惨憺(さんたん)たるものでした。併せて全社員の7%にあたる9000人と車両生産能力の2割削減という『ターンアラウンド計画』を打ち出したのですが、事業再生のプラン策定はいっこうに進みませんでした」(同)
“ホンダに助けてもらう”を周知徹底できず
業を煮やしたホンダは、
「1月末、日産に子会社化を打診。これが日産側の“プライド”を傷つけ、2月5日に開かれた取締役会では反対意見が相次ぎました。翌6日、ホンダ本社を訪れた日産の内田誠社長は、協議を打ち切って白紙撤回する旨をホンダの三部敏宏社長に伝えたのです」(前出のデスク)
両社の統合は表向き「対等」とされながら、実質的に日産の「救済」であることは明白だった。
「破談が決まった6日時点で、ホンダの時価総額は7兆6000億円と日産の5倍。新会社のトップはホンダが選び、取締役も過半数を指名することになっていました。“ホンダに助けてもらう”との認識を周知徹底できず、社内をまとめ切れなかった内田社長の手腕が疑問視されています」(同)
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