「有本明弘さん」が拉致問題で怒りを燃やした3名の日本人 闘い続けた相手は北朝鮮・金正日だけではなかった

国内 社会

  • ブックマーク

誕生日を祝い……

 有本さんが闘った3人目の日本人は、ジャーナリストの田原総一朗氏である。田原氏は司会を務める2009年4月25日放映の「朝まで生テレビ!」で、恵子さんを含め、北朝鮮が「死亡」と発表した8名について、「外務省も生きていないことは分かっている!」と言い放った。もちろん日本政府はこれを認めていない。有本さん夫妻は根拠のない発言で精神的に傷つけられたと、田原氏を相手取り、1000万円の慰謝料請求訴訟を行った。

 嘉代子さんは「週刊新潮」の取材にこう述べている(2009年11月5日号)。

「慰謝料を請求したのは、そうしないと提訴できないと言われたからで、お金が欲しいのではありません。裁判官の方から和解の提案がありましたが、真実を知るために訴訟は続けるつもりです」

 訴訟で田原氏は外務省幹部の取材に基づくと主張したが、その幹部も「国民が納得する形での解決は無理」と言ったまでであり、「生きていない」とは述べていないことが判明。田原氏の敗訴に終わった。田原氏は「裁判を長引かせ、有本さんご夫妻を苦しめるべきでない」と控訴を断念している。

 2月17日、有本さんの家族が記者会見を行った。それによると、明弘さんは昨年10月に息苦しさを覚え、救急搬送され、一時入院していたという。以降、体調が優れず、今月頭からは水も飲み込めない状態に。1月12日には自宅で恵子さんの64歳の誕生日を祝った。死の数日前には、「恵子のことは残念やったけど、きょうだいで仲良くやっていけよ」と述べたという。

 恵子さんのために、北のみならず、時には日本人とも闘い続けた人生だった。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。