「有本明弘さん」が拉致問題で怒りを燃やした3名の日本人 闘い続けた相手は北朝鮮・金正日だけではなかった

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ただの犯罪者

 そんな有本さん夫妻は生涯、拉致を命じた金正日に怒りを燃やし続けた。しかし、それと同時に、“同胞”であるはずの3人の日本人にも憤りを隠さなかったという。

 一人は、故・田宮高麿をリーダーとする、赤軍派のよど号ハイジャックメンバーたちだ。1970年、実行犯9名は身辺に当局が迫っていることから、日本航空の旅客機「よど号」をハイジャック。平壌空港に着陸させ、北朝鮮に亡命した。その後は北朝鮮政府の庇護を受け、前述のようにその命を受けて、恵子さんを連れ去った。

「週刊新潮」は2002年、北に残るよど号メンバー4名が日本への帰国声明を発表した際、明弘さんに取材している(8月8日号)。明弘さんは怒気鋭く述べた。

「彼らには何も期待していません。たとえ帰国しても、真実は絶対にしゃべらないし、嘘を並べるだけであることは分かっています。彼らは、ただの北朝鮮のあやつり人形なんです。彼らは私にとってただの犯罪者。“娘を返せ”という感情すらぶつけられる相手とは思っていません。今はただ娘が無事であることを祈るだけです」

 その後、2011年、日本に帰国した田宮の長男が出自を秘めて三鷹市議選に立候補した。その際、嘉代子さんは「週刊新潮」の取材にこう述べている(3月17日号)。

「彼の母親は、娘の恵子の拉致に関与した犯人の1人で、逮捕状が出た現在も北朝鮮に潜伏中なのです。数年前に北朝鮮から帰国した長男も母親の強い影響下にあったと考えられます。日本国籍を取得して被選挙権の条件を満たしたからといって、そんな人物が立候補すること自体、とうてい納得できません」

口外しないでくれ

 怒りの2人目の対象は、旧社会党とその委員長だった故・土井たか子氏である。前述のように、有本さんが拉致の事実を確信したのは、被害者の石岡さんからの手紙がきっかけだった。動転した一家が頼ったのは朝鮮労働党と友好関係にあった旧社会党と、地元選出の土井たか子・元委員長。しかし、その結末は――。

「週刊新潮」2002年10月3日号での嘉代子さんの証言を引こう。

「手紙が届いたという電話が北海道の石岡さんのお母さんから来たのは平成元年9月でした。手紙が届いてすぐにかけてきたらしく、とても興奮している様子でした。それでとにかく“社会党の先生を誰かご存じないですか”と言われました。私は政治家の先生とそんなお付き合いもありませんでしたので、“今のところ心当たりがないですよ”と答えたのです。すると、“社会党だったら北にパイプがあるから”と言われました」

「その後、おそらく年内の秋頃だったと思います。思い出して夫と社会党の土井たか子さんの事務所に行きました。同じ神戸ですから比較的近いですからね。事務所では秘書が応対してくれました。丁寧でしたが、結局、“先生がいないので、その旨伝えておきますよ”みたいなことを言われました。でも、その後は何の連絡もありませんでした。それっきりです」

 それどころか、旧社会党の北海道支部から、兵庫の有本さんの自宅に、石岡さんの手紙について「口外しないでくれ」と口止めの電話が入ったというから驚きである。

 土井は2014年に死去。旧社会党は社民党と名を変えたが、国会議員3名の弱小野党へと転落している。

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