「問題は彼の政策ではなく、傲慢さ」 英国政府が最も注目した政治家・小沢一郎 機密ファイルを読み解く
政界のドンの転落
1993年3月6日、東京地検は金丸を脱税容疑で逮捕した。政治資金を流用した不正蓄財の容疑で、金額は10億円に達する。自宅の捜索では金の延べ棒や大量の債券も見つかり、世間をあぜんとさせた。
政界のドンの転落に衝撃が走るが、関心は政治改革の行方に移った。それまでの中選挙区制では、同じ選挙区に複数の自民党候補がいて、派閥間の争いもひどかった。これが、札束が飛び交う金権政治を生んだとされ、小選挙区制と比例代表制を並立させる案が出る。
小沢らは自らを「改革派」と名乗り、法案に反対する梶山幹事長らを「守旧派」と攻撃した。与野党の攻防に自民党内の争いが絡まり、政治改革法案成立の見通しがつかなくなる。それを成立させられるかどうかが、政権の命運を決めた。
その最中の6月、梶山が、法案の成立を断念したと語ったとのニュースが駆け巡る。一体何があったか。ロングボトムの報告には、こうある。
「昨夜、梶山は宮澤総理と会談したが、その前に竹下元総理とゴルフをしていた。だが、二人が回ったのはわずか9ホールで、残りの時間は、ゴルフ場のクラブハウスで政治改革を話し合った」
「その後、宮澤総理と会った梶山は、党をまとめるのは無理と伝えた。宮澤は、党内の空気は分かるが、まだ時間があるので、と努力を求めた。梶山は、日本は民主主義国で独裁国家ではないと応じたという」
ジャーナリストを通じて自民党内の動きを把握
ここで気付くのは、ロングボトムが政局を逐一追っていることだ。小沢グループの行方を左右する政治改革、その動きをリアルタイムで入手した。要人たちの会話、ゴルフ場での行動、はては何ホール回ったかまでチェックした。
そして、彼女の報告は情報源に、「朝日新聞のジャーナリスト」とある。この人物を通じ、自民党内の動きを把握していたようだ。
もはや党の分裂は避けられず、6月18日、衆議院本会議で内閣不信任案が上程された。小沢たちは「守旧派」への攻撃を強め、他派閥も賛成票を投ずる者が出て、可決された。すかさず小沢らは自民党を離党し、新生党を結成する。宮澤内閣は衆議院を解散したが、7月の総選挙で自民党は過半数を割り込む。
そして8月9日、8党派の連立で、細川内閣が発足。まさに「壊し屋」小沢の本領発揮だった。
だが、鳴り物入りで誕生した細川政権の命は短かった。元々、野党の寄り合い所帯の上、小沢への風当たりがすごかった。良く言えば「黒子」だが、陰で政治を動かす手法がたたかれた。
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