「難読漢字」に「私立っぽい県立校」 エナジックスポーツ以前にもあった…ユニークすぎる校名の“センバツ出場校”7選
第97回選抜高校野球出場校に創部3年目の沖縄・エナジックスポーツ高等学院が選ばれ、史上最長の“片仮名9文字”の校名が話題を集めている。甲子園のスコアボードの校名表記は最大4文字だが、エナジックでも5文字なので、どんな表記になるかも興味が尽きない。そして、センバツには、過去にも何度となくユニークな校名の高校が出場している。【久保田龍雄/ライター】
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公立では珍しい校名
いかにも私立校っぽい校名なのに、実は県立高校という意外性で話題を呼んだのが、1990年出場の埼玉・伊奈学園総合だ。
84年創立の同校は、校名に「総合」がついているのに、普通科高校で、生徒が自分の個性や進路に合わせて人文、理数、語学、スポーツ科学、芸術、生活科学、情報経営のいずれかを選ぶことができる総合選択制を採用している。
89年秋、エース・銭場一浩の頭脳的投球と堅守で秋の県大会を制し、関東大会でも4強入りして、甲子園初出場を決めた。
1回戦の金沢戦では、1対1の9回に2点を勝ち越されたが、その裏、2死から東原佑輔の2点三塁打で同点に追いつく粘りを見せる。
だが、延長10回、安打と犠打野選で1死二、三塁のピンチに、スクイズを見破った銭場が外角高めにウエストしたところ、飛び上がる捕手のミット上部をはじく暴投になり、惜しくも初戦敗退となった。
「悔しさの残るいい負け方をしました」とナインの健闘をたたえた三角裕監督は、97年から04年まで母校・東大野球部の監督も務めた。
北海道にはアイヌ語からつけられた校名も
通信制高校で史上初の甲子園出場をはたしたのが、2012年の長野・地球環境だ。
02年に開校した私立の広域通信制単位制普通科高校で、開校1年目にサッカー部が第81回全国高校選手権大会に出場し、初勝利を挙げたことでも知られる。
05年創部の野球部は、01年夏と04年夏に塚原青雲(現・松本国際)を甲子園に導いた羽鳥均監督の下、前年秋に北信越大会決勝で西川龍馬(現・オリックス)の敦賀気比と延長13回、0対1と健闘した実績が認められ、創部8年目で甲子園出場の夢を実現した。
1回戦の相手は履正社。エース・漆戸駿が立ち上がり制球に苦しみ、四球をきっかけに1点を先制されるも、5回に岩田浩哉の三塁打と内野ゴロで同点。強豪相手に互角に戦ったが、6回に2ランで勝ち越され、2対5で敗れた。後半に4失点と崩れた漆戸は「来ただけじゃダメ。勝ちたかった」と悔しがりながらも、「地球環境という高校は知ってもらえたと思う」と校名が全国区になったことを喜んでいた。
漢字表記はシンプルながら、「ちない」と読んでしまいそうなのが、1993年の北海道・知内(しりうち)だ。
アイヌ語の「チリ・オチ(鳥のいるところ)」に由来する地名で、知内町は演歌歌手・北島三郎の出身地としても知られる。
同校は前年秋の北海道大会で決勝まで勝ち進み、優勝校の駒大岩見沢に4対6と善戦。2校揃ってセンバツに出場することになった。町立の高校が出場するのは、大会史上初の快挙だった。
甲子園では開会式直後の第1試合で浜松商と対戦。「甲子園の雰囲気に呑まれた」(山本鉄弥監督)知内はエラーを連発し、3回までに5点をリードされるが、0対6の5回に3点を返し、ようやく本来の力を発揮。相手を上回る10安打を記録し、後半は押し気味に試合を進めたが、前半の失点と12残塁の拙攻が響き、3対6で敗れた。
北海道では、2002年に21世紀枠、04年と09年に一般枠で出場した鵡川(むかわ)も地元の人しか読めない難読で、アイヌ語の「ムカペッ(塞がる川)」「ムカップ(ツルニンジンの生えているところ)」に由来。初出場の甲子園では、1回戦で三木に12対8と打ち勝ち、「鵡川」の名を全国に広めた。
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