桐島聡の同志が語った、49年間自首しなかった理由 「逃亡生活でしんどいのは人間関係」
「地下生活でしんどいのは人間関係」
部隊が異なり、桐島と面識はなかった浴田氏は、
「テレビで最初のニュースを聞いて、びっくりしました。“生きてたのだったら言ってよ”みたいな」
ところが日を追うにつれ、
「彼の生活実態とか、流されるニュースを観て、連日涙が止まりませんでした」
マイクを握る手を震わせながら、そう涙ぐむ。
「地下生活でしんどいのは、おそらく金や仕事がないということじゃなくて、人間関係なんです。知り合った人にはいろいろうそ言って。名前や経歴も違うことを言って。相手が信頼を示すほど苦しいです。もしかしたら迷惑かけるかもしれない。私が逮捕されたら、警察が来て“お前、助けてただろう”と」
なるほど、経験者だけに実感がこもってはいる。
「50年の中で、ちょっと計算して、ここで自首したら普通の人間に戻れるかなって、思わなかったとは思いません。(そういう思いは)あったはずです。それでも彼はしなかった。大人から見たら、“バカだな、早く出てきてさっさと認めなよ”という話ですよね」
「約束だからやったんだと思う」
にもかかわらず、桐島が逃亡を続けたのは、
「好きでやっていたとは思いません。別れる前に同志とした約束を、貫徹した。約束だからやったんだと思います」
こうして革命同志たちは、美談仕立てに桐島を悼んだのだった。
ちなみに、この日は元日本赤軍の映画監督、足立正生氏(85)も登場。3月に公開される桐島がモデルの映画「逃走」の予告編を披露した。7月には、高橋伴明(ばんめい)監督による桐島映画も控えている。
爆弾で他人のみならず自分の人生をも破壊した故人は、草葉の陰で何を思うか。
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