23歳でこの世を去った世界王者「大場政夫」 元日に亡くなった長野ハルさんが語っていた“後悔”(小林信也)

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ハワイ行が中止に

(あの足首のけががなければ……)

 15歳で帝拳ジムに入って間もない時期から、食事の世話や部屋の掃除までずっと大場の面倒を見続けたマネジャーの長野ハルは、沢木耕太郎の取材に答えて語っている。沢木は単行本『王の闇』に「ジム」と題して書いている。

〈チャチャイの試合のあとでどうして予定通りハワイへやらなかったのだろう。(中略)チャチャイ戦のあとは本人の希望でハワイに泳ぎに行くことになっていた。わたしはすでに航空券も用意しておいたのだが、チャチャイ戦で痛めた足が完全に治り切らず、少し引きずるように歩くのでハワイ行を中止してしまったのだ〉

 大場は東京都墨田区で生まれた。父親は腕のいい鍛冶職人だったが、ギャンブル好きで、家は赤貧だった。父は熱烈なボクシング好きでもあり、その影響で幼い頃からボクシングを見ていた大場は、小学校5年の頃には将来の夢をリングにはせていたという。

(ボクシングの世界チャンピオンになって、母親に庭付きの家を建ててやるんだ)

 中学を卒業すると上野・アメヤ横丁の〈二木の菓子〉に就職。そして6月、帝拳ジムに入門した。

 その頃帝拳は、存亡の危機ともいえる苦難に直面していた。ジムが総力を挙げて支援した小坂照男がついに世界を取れずに引退。同時期、一代でジムを隆盛させた本田明会長が急逝。寮にいた選手たちもみな出ていった。息子の本田明彦が跡を継いだが、まだ高校生。ジムの前途は危うかった。練習生の大場が寮生に抜てきされたのはその頃だ。

 入門の翌秋、プロライセンスが取れる17歳になった直後、大場はデビュー戦を1ラウンドKOで飾った。それから6連勝、初黒星を挟んで10連勝。初めての10回戦で後の世界王者・花形進に判定で敗れたが、その後の進境は目覚ましかった。大場は、4人の現役チャンピオンを次々にノンタイトルで破ったのだ。

 日本王者のスピーディ早瀬、タイ王者のサクディノイ、東洋王者の中村剛、そして69年12月には海老原博幸から世界タイトルを奪ったバーナベ・ビラカンポ(フィリピン)にも勝った。世界1位に躍り出た大場は世界挑戦の権利を手にした。

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