「なぜ、アイドルだったことを使わないんですか?」 “恩人”社長の言葉は「目からうろこでした」
宮前真樹インタビュー第6回
アイドルグループ「CoCo」の元メンバーの宮前真樹(52)。1994年にグループ解散後は、タレントとして活動した。30歳の時に芸能界を一度離れ、料理の道に進む。社会人としてゼロからのスタート。手探り状態の中、支えになったのはある恩人の言葉だったという。(全6回の第6回)
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【写真】当時から「美少女」だった宮前真樹の幼少期、10代、20代、30代。初々しい「水着」ショット、デビュー前の「三つ編み」姿も
芸能界から離れて、30歳で社会に出るのは本当にしんどかったです。世間の人たちはもうそれぞれ自分のキャリアを積んでいる中で、私は全くのゼロからスタートしました。
好きだった料理の道に進むことを決めた後は、料理教育機関「ル・コルドン・ブルー」に入学しました。芸能界を辞める前から「料理を学びたい」と、毎年その学校案内のパンフレットを見ては、自分がやりたかったことを確認していたんです。
でも、最初は誰とも交流を持たずに、ただただ勉強だけして、卒業しようって思っていました。でも、出会った人たちがすごくいい人たちで、私のことを知っていたんですけど、誰もアイドルの時の話を聞いてこなかったんです。
後でわかったんですけど、みんな世代が割と似ていて、私のことを知っていたんですが、普通の学生として接してくれていたんです。卒業する頃に、実は私のことを知っていたとか、実は中学生の時にCDを買ったことがあると言われて、「え、そうだったんだ! ありがとう」って感じでした。
そこで出会った友達と一緒に、学校を卒業した後、「スイーツブランドを作ろう」という話になって、蒸しパンを作ろうってことになりました。蒸しパンは昔から人気があるのに、最新の商品が「チーズ蒸しパン」くらいしかなかったんです。みんなで、「チーズ蒸しパンってすごく食べるし、蒸しパンには絶対需要があるよね」と話していました。
それで、いろんな味の蒸しパンを作って試しました。サイズも小さくして、ミスタードーナツのD-ポップみたいに一口サイズにして、一個のパックにいろんな味の蒸しパンを入れるようにしました。「これを東京の代表的なお土産にしたいね」という大きな野望を持って、レシピを何十個も作ったんです。
でも、そこで気づいたのは、誰も食品業界に知り合いがいないということでした。どうやってこれを売り込むのか、わかりませんでした。初めて名刺を作って、大手の食品通販会社にアポを取って、会いに行ったんです。そこで、私がやっていることを話して、「御社の通販で販売させていただけませんか」とプレゼンをしました。
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