「イギリス人YOU」が80年前に祖父を救った日本軍人の墓参り 駆逐艦「雷」による知られざる「敵兵救助劇」とは

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なぜ工藤艦長は敵兵の救助に向かったのか

 1942年3月1日未明、重巡「那智」が洋上を漂流する敵兵を救助するが、この艦は捕虜の処遇には冷淡であった。副長市川重中佐(海兵48期)は次のように証言している。

「甲板士官が、救助した敵兵七名の処遇に困り、夜間、海に突き落としたいと言って何度も自分のもとを訪れた」(「海軍兵学校史」「那智」副長市川重の記録)。

 一方の工藤艦長の率いる「雷(いかづち)」が、人命救助において世界海軍史上に特筆される功績を残すことになったのは、敵兵発見当時単艦行動をとっていたため、艦長の決断と個性が遺憾なく発揮されたことが大きかったのだろう。

 英駆逐艦「エンカウンター」の砲術士官として乗務していたフォール卿は、こう証言している。

「艦長とモーターボートに乗って脱出しました。その直後、小さな砲弾が着弾してボートは壊れました。同時にその断片が首からかけていた双眼鏡を吹き飛ばしてしまったのです。この直後、私は艦長と共にジャワ海に飛び込みました」(3月1日、午後2時過ぎ)

「間もなく日本の駆逐艦が近づき、われわれに砲を向けました。固唾をのんで見つめておりましたが、何事もせず去って行きました」

「エンカウンター」の乗組員は、約21時間漂流し、沈没艦から出た重油の海に漬かり、多くの者が一時目が見えなくなる。

 フォール卿の証言を続ける。

「救命浮舟に5、6人で掴まり、首から上を出していました。見渡す限り海また海で、救命艇も見えず、陸岸から150海里も離れ、食料も飲料水もない有様でした。この時、ジャワ海にはすでに一隻の連合軍艦船も存在せず、しかも友軍はわれわれを放置してしまうという絶望的な情況に置かれていました」

「私は、オランダの飛行艇がきっと救助に来てくれるだろうと盲信しておりました。ところが一夜を明かし、夜明け前になると精気が減退し、沈鬱な気分になっていきました。死後を想い、その時には優しかった祖父に会えることをひそかに願うようになっていたのです」

「1942年3月2日の黎明を迎えました。われわれは赤道近くにいたため、日が昇り始めるとまた猛暑の中にいました。仲間の一人が遂に耐えられなくなって、軍医長に、自殺のための劇薬を要求し始めました。軍医はこの時、全員を死に至らしめてまだ余りある程の劇薬を携行しておりました」

 一方「雷」は、3月2日午前2時頃、ビリントン島東南70キロの地点で反転し、パンジェルマシン近くで行動する主隊に合同するため、針路120度、東南東方向に針路を変更した。

 午前9時50分頃、反転後約112海里航走した地点で、左舷二番見張りの使用する固定12センチ双眼望遠鏡にフォール卿の一行、「エクゼター」と「エンカウンター」の漂流乗組員の集団が映った。

「我、タダ今ヨリ、敵漂流将兵多数ヲ救助スル」

 二番見張りは「左30度、距離8000、浮遊物多数!」と第一声を発する。

 当時艦の速度は16ノット、工藤は味方艦艇が敵潜水艦に撃沈された直後かと見て、艦内に「戦闘用意」を下令、各見張りに「警戒厳となせ」と指示した。

 と同時に、第四戦速(27ノット)へ増速、左10度へ舵をとり、目標に艦を近づけた。艦は約4分航走した。目標はやがて左60度方向、距離4000に近づいた。

 二番見張りと四番見張りからそれぞれ、
「浮遊物は漂流中の敵将兵らしき」「漂流者四〇〇以上」と、次々に報告が入る。

 工藤は「潜望鏡は見えないか」と見張りと探信員(ソーナー員)に再確認を指示するが、各見張りとも「敵潜水艦らしきものは見えません」「探信儀異状なし」と報告してきた。

 この漂流者の集団は、昨日の海戦で撃沈された英米艦隊の生存者と判断された。

 この直後、先任将校浅野市郎大尉(戦後、第65代愛知県議会議長)が助けたいというニュアンスをこめて工藤に、「助けましょうか?」と尋ねるように意見具申をした。当時工藤の側にいた艦長伝令の佐々木は、今でもこの瞬間をはっきり覚えている。

 このまま航走すると、「雷」は約2分後には、この集団を左90度方向に見ながら通りすぎることになる。

 午前10時頃、工藤は「救助!」と叫び、「取り舵いっぱい」と下令、艦を大きく左に転舵する。そして針路30度に定針し、敵漂流者集団の最前方に艦首を向けたのである。

 フォール卿の回想に戻る。
「午前10時頃、突然200ヤード(約180メートル)のところに日本の駆逐艦が現れました。当初私は、幻ではないかと思い、わが目を疑いました。そして銃撃を受けるのではないかという恐怖を覚えたのです」

 航海長の谷川清澄中尉も、「確かに当時の艦橋内には救助しようというムードが満ちていた」と、証言している。

「雷」は直ちに、「救難活動中」の国際信号旗をマストに掲げ、直属上司である第三艦隊司令部高橋伊望中将宛てに「我、タダ今ヨリ、敵漂流将兵多数ヲ救助スル」と信号を発したのである。 世紀の救助劇はこうして開始された。

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