【べらぼう】ビジネスマン必見…蔦屋重三郎が諸経費を「半分」にして中身を「2倍」濃くした画期的方法
サイズを大型化したメリット
蔦重の『細見 籬の花』は、その前年に鱗形屋が刊行した『細見 百夜章』とくらべると、開く前にまず見た目が違う。鱗形屋の『百夜章』は縦15.6センチ、横11センチで、現在の文庫本より少し大きいくらいの「小本」と呼ばれるサイズだった。これに対して蔦重の『籬の花』は、縦18.5センチ、横12.4センチの「中本」で、一回り大きかった。
大型化したメリットは明らかにあった。丁数(紙の枚数)が明らかに減るので、紙代が節約できるばかりか、彫師や摺師に支払う費用も節減できた。そうすれば当然、卸値も売値もこれまでより安くできる。『吉原細見』は買う側にとっては、中身が不正確では困るが、ひどい内容でないかぎり、安いほうがよかったに違いない。蔦重はそこで消費者の要求に応えたのである。
だが、いくら価格を安くできても、読者が長いあいだ親しんでいた判型を変えるのは冒険でもあっただろう。おそらく蔦重もそう認識していたので、これまで小本に馴染んできた人から積極的な支持が得られるように、内容に工夫を凝らした。
判型が大きくなった分、半丁(1ページ)の真ん中に「仲の町」に続き、「江戸町一丁目」「江戸町二丁目」「角町」「京町一丁目」「京町二丁目」という、吉原の整然と区画整理された通りを貫かせ、その両側(上下)に引手茶屋や女郎屋をずらりと並べたのである。
まったくあたらしい臨場感
それまでは半丁には、通りの片側の見世の記事しか入っていなかったので、蔦重の工夫によってページ当たりの情報量は2倍になった。したがって、丁数は従来にくらべて確実に半分で済み、価格を下げられることになった。
しかし、安かろう、悪かろうでは仕方ない。蔦重の工夫のキモはページの真ん中を通りが横切るようにしたことにあった。通りの両側に見世が並んでいるのは、まさにリアルな吉原そのもので、読者が実際にその通りを歩いているような臨場感を味わうことができたと思われる。これは蔦重が『吉原細見』に持ち込んだまったくあたらしい発想だった。
すなわち、蔦重は判型を大きくして紙代を節約し、1ページあたりの面積が大きくなった分、レイアウトを工夫して情報量を倍に増やし、紙代をさらに節約。彫師や摺師への手間賃も半分に抑えた。しかも、レイアウトの変更を逆手にとって見やすくすると同時に、読者がこれまでにない臨場感を味わえるようにした。しかも、吉原に通じている蔦重が手がけているから、情報も正確である。
そのうえ販路も押さえていたのだから、いままでよりもお得な『吉原細見』を、存分に売り込むことができたのではないだろうか。
マーケットを独占した蔦重版
このように、価格は安いのに、見やすくて、楽しめて、信頼性も高い蔦重版が支持されたのは当然のことだった。そこには今日のビジネスにとってのヒントも詰まっていると思われる。
翌安永5年(1776)には鱗形屋も『吉原細見』の刊行を再開した。しかし、もはや蔦重の敵ではなく、蔦重版はシェアを拡大し続けて、天明3年(1783)にはマーケットを独占する。一方、鱗形屋版は完全に駆逐されてしまった。
また、情報を詰め込みながら読者に臨場感をあたえた発想と手法こそが、蔦重がここから短期間で江戸を代表する地本問屋に成長し、さらには「江戸のメディア王」として君臨するための、このうえない武器になったことはいうまでもない。
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