「全てが常套手段」なのに旧東京拘置所からの“集団脱走”に成功…96年にイラン人7人が企てた“緻密すぎる計画”の中身

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鉄格子の切断は決行の2日前から

 以上の特集記事が世に出た時点で、脱走者7人全員の逮捕には至っていなかった。追跡劇と並行して、捜査や先の逮捕者の供述などより脱走計画の全容が明らかになっていく。

 計画が持ち上がったのは同年1月下旬。同房だったイラン人8人のうち1人がイランから本の裏表紙に隠した長さ20センチの鋸を送らせ、残る7人を誘った。仲間が懲役7年の実刑判決を受けたため、刑務所に長くいたくないと思ったことが脱走の動機 だったという。この時に断った1人は、決行当日、拘置所支給の睡眠薬が入った紅茶で眠らされていた。

 2月11日深夜から12日未明にかけて決行した理由は、特集記事内で佐藤清彦さんが見立てた通り、連休で警備が手薄になるためだった。鉄格子の切断はその2日前から始まり、切断係やトイレを流して作業音を消す係など役割を分担。鉄格子を外して窓から出た後の動きも特集記事の通りだが、最初に塀を越えた1人が防犯線に触れた際、警報は鳴らなかったことが明らかになっている。

 塀を越えた7人は2~3人に分かれて新宿区歌舞伎町まで移動。イラン人が集まるディスコで合流してから、仲間の手引きで東京近郊に身を隠した。

68年ぶりの建て替え工事

 千葉県船橋市のアパートで1人目が逮捕されたのは2月18日のこと。23日には埼玉県草加市で2人、3月14日には愛知県豊田市で1人、5月4日には埼玉県草加市で1人、7月10には埼玉県新座市で1人と逮捕者の数が増えていった。

 最後の1人は11月20日、山梨県富士吉田市で逮捕された。2月12日の脱走から、なんと丸9カ月も逃亡生活を送っていたことになる。なお、7人が追跡された過程では、逃亡に協力したイラン人やフィリピン人、日本人らも逮捕された。

 一方、法務省は同年3月1日に発表した「逃走事故調査委員会」の中間報告で、40年間脱走がなかったことによる職員の「気の緩み」を指摘。さらに同日付で所長ら2人を更迭した。同年9月にも看守ら現場職員17人の処分を発表している。

 現場では様々な再発防止策が講じられ、68年ぶりの建て替え工事も決定。工事は1997年秋から始まり、2013年7月3日には落成式が執り行われた。地上12階、地下2階のビル型庁舎が現在の姿だ。イラン人たちが乗り越えた外塀はすべてなくなり、警備にはコンピューター制御システムが導入された。最新統計によると、2024年11月1日現在の収容人員は1858人(定員3010人)である。

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 果たして今の日本は「逃げたら何とかなる」国から脱却できたのだろうか? 第1回【「7人のイラン人」が梯子を作って塀を乗り越え…96年の旧東京拘置所「集団脱走」事件で「110番通報まで1時間以上」かかった驚きの内部事情】では、拘置所側の釈明をリアルに伝えている。

デイリー新潮編集部

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