「全てが常套手段」なのに旧東京拘置所からの“集団脱走”に成功…96年にイラン人7人が企てた“緻密すぎる計画”の中身

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外国人をまとめて雑居房は「ありえない」

 調査官は“油断”と言うのだが、本当だろうか? 前出の見沢さんが反論する。

「なにより不可解なのは、刑務所、拘置所では外国人をまとめて雑居房に入れるという事はまずありえないんです。独居房に入れるか、府中刑務所のように、雑居房でも日本人の中に1人だけ交ぜる、というやり方しかしないものです。それをイラン人だけ雑居房に入れるということは、彼らに事実上、密談を許すということで、極端な話、看守の目の前で脱獄の相談をしてもわからないのです。

 僕等が看守の前で“脱獄”などという言葉を冗談でも発したら、それだけで懲罰ものですよ。それでなくても東京拘置所はこの数年、ノートの持込み制限を強化するなど、邦人囚に対して管理が厳しくなっているのに、その一方で外国人にたいするこの甘さは首を傾げざるをえません。

 それと、15分おきに看守が巡回していたといいますが、僕の経験では真面目に巡回しているのは夜の12時くらいまで。1時から4時頃までは1時間に1回くらいしか来ない。僕は深夜の巡回が甘くなるのを待って、禁止されている読書をよくしましたから、巡回に来るときに押す時計のボタンの音で看守の動静を窺っていたものです。

 また、房のガラス窓が曇って中がよく見えないというのも、東京拘置所では冬場、特に一、二月は必ずといっていいほど曇る。看守はそれで窓の隅っこから覗きますから、この季節ははっきり言って死角ができるのです」

 おまけに、房内の点検は月2回で、前回は1月31日だったという。と言うわけで、季節、日にち、そして時間といい、計算し尽した犯行だったのである。

「逃げたら何とかなる」

 それにしてもわからないのが、長期刑や死刑ならともかく、7人はいずれも、刑が確定した段階で本国へ強制送還される見通しだった。理由はさておき、帰国できる状況だったのだ。

 不法滞在外国人に詳しい松本耿郎・英知大学文学部教授はこういう。

「イラン政府は麻薬犯罪に対して非常に厳しい取締りを行っています。極刑も珍しくありません。日本に住んでいるイラン人は、家族に会いたいとは思っても、国に帰りたいという思いは無いんです。それと、日本人は逃げても捕まると思っていますが、彼らはこの間、不法滞在しても問題なく暮らせ てきましたから、“逃げたら何とかなる”と甘くみてるんですよ」

(「週刊新潮」1996年2月29日号「東京拘置所『七人脱獄』が暴いた慢性警備堕落」より)

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