「全てが常套手段」なのに旧東京拘置所からの“集団脱走”に成功…96年にイラン人7人が企てた“緻密すぎる計画”の中身

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全てが脱獄の常套手段

 見沢さんはこうも続ける。

「囚人は、弁当や石鹸、歯磨、タオルなどは売店でしか買えず、ほとんどの品は差入れ出来ませんが、例外として衣類と書籍は持ち込める。しかし、何か紛れてませていないか厳しく検査しますし、ワイヤーが入っている下着はそれが抜き取られます。

 ただし、ジャンパーなどのファスナーについては例外的に認めているそうですから、糸鋸をうまく縫い込んで差し入れれば、検査をかいくぐれる可能性が無いではない。もちろん、非常に低い可能性ですが、しかしいったん持ち込んだら、いまの東京拘置所なら脱獄はそう難しいものではないとおもいますね」

 ところで、「今回の脱獄劇は全てが脱獄の常套手段で、目新しい手口はこれといってありません」というのは、『脱獄者たち』(青弓社)を昨年上梓したノンフィクション作家の佐藤清彦さんだ。

「毛布を丸めて布団に入れて寝た振りをする、梯子をつくるというのはごく普通のことで、シーツは脱獄の必需品ですね。小菅では過去2回脱獄がありましたが、2例ともシーツをロープ代わり に使っています。休日を選んだ(2月12日は振替休日のため10日から3連休だった)のも警戒が手薄になるからで、これも誰でもが思いつくことです」

窓が曇っていて雑居房の中がよく見えなかった

 とはいうものの、いとも簡単に7人もの外国人に脱獄されたとあっては、国の名誉にもかかわってくる。

 事件当日の東京拘置所の入所者は2000人強。うち外国人は中国人120人を筆頭に、イラン人60人、韓国人50人など約330人。対して警備側の勤務体制は、夜間の職員が70人。午前1時半に交代するため、深夜の2000人の監視は30名弱で行うことになる。

 調査官はこういう。

「監視は見回りが15分に1回程度で、その合間に監視モニターを見ています。モニター員はおりません。自殺の恐れなどのある者が入るテレビ房のモニターは、専従の者が24時間見ています。外の見回りも、それ用の人員を割いている施設も他にはあるようですが、小菅では人員的な都合でできないんです。

 巡回は、当日も15分毎に行われています。房の両端に時計付きのボタンがあって、押した時間が記録されるのですが、巡回はちゃんとしていました。ただ、深夜ということもあり、疲れがピークに達するのが夜明けといったこともあったかもしれません。しかも、この夜に限って、廊下側のガラス窓が曇っていて、その雑居房の中がよく見えなかったんです。

 本当なら窓を開けるなどして中の様子を見るべきなのですが、逃走しなかった1人の寝顔が窓の隅から確認できたので安心したということです。この時、窓の鉄格子の異常には気づいてはおりません。これまで、自殺防止には成果が上っていたと思うのですが、結果的にこういう事件が起こってしまったわけで、“油断していた”と言われても仕方ありません」(注・眠っていた1人は睡眠薬で眠らされていたことが後に判明)

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