「全てが常套手段」なのに旧東京拘置所からの“集団脱走”に成功…96年にイラン人7人が企てた“緻密すぎる計画”の中身

国内 社会

  • ブックマーク

第1回【「7人のイラン人」が梯子を作って塀を乗り越え…96年の旧東京拘置所「集団脱走」事件で「110番通報まで1時間以上」かかった驚きの内部事情】を読む

 近年の物議を醸している問題の1つといえば外国人の犯罪だが、90年代もイラン人を中心とする外国人の犯罪が頻繁に報じられていた。当時はビザ免除協定の停止などの対応策が取られたものの、犯罪の撲滅には至らず、1996年2月には東京拘置所(東京都葛飾区)でイラン人7人の集団脱走事件が発生している。

 脱獄が成功した理由を追う当時の「週刊新潮」特集記事は、なんともお粗末だった警備事情を明らかにしている。脱走された側の証言を伝えた第1回に続き、今回は実際に収監された体験がある作家の見沢知廉氏(2005年没)や識者の見解をお届けしよう。そして現在にも共通する、外国人犯罪者の“変わらない思考”とは――。

(全2回の第2回:「週刊新潮」1996年2月29日号「東京拘置所『七人脱獄』が暴いた慢性警備堕落」をもとに再構成しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

 ***

収監“経験者”の見解は

 問題は、彼らが金鋸をどうやって入手したかである。考えられるのは、1:入所時に隠し持つ、2:面会時に密かに渡す、3:差入れ品に入れる、もしくは差入れ屋か拘置所内の売店を買収する、4:所内で拾う、5:外から投げる、といったところだろう。(注・後にイランから送られた本の中に隠されていたことが判明)

 ここは、脱走された当事者の弁解ではなく、「僕も鋸が手に入ったら、脱獄を企てたと思います」という、作家で政治結社・一水会政治局長の見沢知廉さんの話を聞いてみよう。見沢さんは2月に体験談をまとめた『囚人狂時代』(新潮文庫)を出したばかり。

「私は右翼版の内ゲバ殺人で12年間千葉刑務所に入っていたのですが、その前の8カ月は未決囚として東京拘置所に収監されていました。私の経験からいうと、鋸を面会時に渡すのは100%不可能。物自体を手渡す事が禁じられているし、2枚のプラスチック板に仕切られていてできない。会話の為の穴も、2枚の板の穴の位置が微妙にずれている。しかも看守が30センチ横で監視していて、会話もメモしている。

 塀の外から投げ入れるのも確率からいって非常に難しいし、口や肛門に隠すのも、最近特に拘置所の検査が厳しくなっているのでこれも無理でしょう。

 残るのは差入れですが、差入れ屋や拘置所の売店を買収するという手は過去にありましたが、日本語も巧く操れないイラン人が、買収などという高度な技術を使うとは思えない。暴力団説もありますが、逮捕された1人の潜伏場所がイラン人のマンションだったところをみると、考えにくい。それに、暴力団だって、そんなリスクは冒しません」

次ページ:全てが脱獄の常套手段

前へ 1 2 3 4 次へ

[1/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。