フジ凋落は本社移転が始まりのワケ 社屋&レインボーブリッジ推しと「8」への執着で転落

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不吉な噂飛び交う

 元タレントの中居正広氏の女性トラブル問題でスポンサーが相次いでCM出稿を取りやめたため開局以来の窮地に陥っているフジ・メディア・ホールディングス(東京・台場)。フジテレビを中核とするメディア・コンテンツ事業の2025年3月期の営業損益は前期157億円の黒字からとうとう33億円の赤字に転落する見通しだ。

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 中居氏の人権侵害疑惑に対するフジ幹部社員の関与や日枝久相談役取締役(87)の続投が取りざたされるなかフジへの風当たりは強まるばかりだ。

 同局を長年担当してきた放送記者が明かす。

「フジテレビは1982年から93年までの12年間、視聴率三冠王を連続で達成するなど絶頂期でしたが、93年5月に東京・台場の新社屋の工事が始まり97年3月に新宿区河田町から全面移転。すると視聴率は次第に悪化し亀山千広社長時代の2015年になると年間平均視聴率が民放4位に低迷。同年11月にはゴールデン帯の週間視聴率でテレ東に抜かれキー局最下位に転落しました。『幹部が時代を読めない』『企画力の劣化』などと原因が報じられるなどまさに末期的な症状を見せ始めたのです。臨海副都心にある台場への移転が背景にあるのは間違いありません」

 フジの本社移転地となった臨海副都心の建設計画は、バブル景気絶頂期の1989年から始まり、巨大なオフィス街として開発される予定だった。だが、95年に青島幸男氏が都知事に当選すると96年3月から10月まで開催予定だった「世界都市博覧会」の開催を中止してしまった。空中の球体展望台など威容を誇る新社屋を世界に向けてPRする機会は肩透かしとなったのだ。そもそも台場への移転について社員からは懸念する声が上がっていたという。

「河田町周辺にはフジの番組を担う制作プロダクションがたくさん集まっていました。雑多で猥雑な歌舞伎町やゴールデン街、新宿二丁目にも近く、そのようなエリアでの打ち合わせが頻繁に行われることで、面白い企画が次々と誕生しました。しかし、台場周辺にはそういった繁華街はなく、レインボーブリッジを渡って新橋に出るしかありません。社員は口々に『お台場に人が来なくなるのでは』と心配するほどで、実際に業界関係者の来社は細るばかり。

 一部の関連会社や制作プロは台場の社屋に一緒に移りましたが、部屋は空中渡り廊下の端に簡易的に仕切られたスペースというひどい環境も目につき気の毒でしたね。社員も『毎日リゾート地に観光にきているようだ』と集中できない様子でした。一部の幹部クラスは昼休みになると、隣の高級ホテルのプールで泳ぐのが日課という気の抜けたことを平気でやっていましたよ」(前出の放送記者)

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