「日本保守党」は二つ存在していた! ジョーカー議員トップ当選の背後にあったドラマ

国内 政治

  • ブックマーク

 ジョーカー議員をご存知だろうか。映画「ジョーカー」の主人公のようなメイクでの活動が反響を呼んだ河合悠佑氏である。河合氏は先日、「日本保守党」の候補者として市議会議員選挙に出馬し、見事トップ当選を果たした。

 作家・百田尚樹氏が代表を務める「日本保守党」が昨年の国政選挙で複数の当選者を出したことを記憶している方は、「勢いが止まっていない」と感じるかもしれない。が、実は河合氏の「日本保守党」は百田氏のそれとは別の組織なのだという。

 一体どういうことか。

 全国の選挙をウォッチすることが趣味という選挙マニアで『ヤバい選挙』の著書がある宮澤暁さんに解説してもらった。以下、宮澤さんの特別寄稿である。

 ***

ジョーカー議員の当選

 1月26日、東京都に隣接する埼玉県戸田市で市議会議員選挙が行われました。

 この選挙において、4419票も獲得してトップ当選したのが河合悠佑氏でした。河合氏をご存じの方も多いと思いますが、映画「ジョーカー」の主人公のようなメイクでさまざまな選挙に立候補し、政見放送などで大暴れするなどの活動で高い知名度を博していました(またその知名度を生かして2022年の草加市議会選では当選しています)。

 その大暴れの最近の例としては、昨年行われた東京都知事選が挙げられます。特に女性の過激な写真を使用したポスターを掲示し、警視庁から警告を受けてすぐ外すという事件を起こし、物議を醸していたことは記憶に新しいところです(これについては「都知事選で問題視 「女性の過激セクシー画像ポスター」には元ネタがあった 大事な部分を文字で隠した男性候補者も」で紹介しています)。

二つの日本保守党

 河合氏は、今回の戸田市議会選では白塗りの格好を封印していたほか、無所属ではなく「日本保守党」から立候補していました。

 しかしながら、百田尚樹氏が代表を務める「日本保守党」が支援していた様子は見られません。百田氏の「日本保守党」は先の衆議院選挙で3名の当選を果たし、躍進したのは記憶に新しいところです。

 戸田市の有権者の中には百田氏の日本保守党の所属と思っていた人も見られましたが、実は河合氏の所属している日本保守党は百田氏率いる国政政党の日本保守党とは全く別組織です。

 ただ、読者の皆さんに誤解をしていただきたくない点として、河合氏が所属している日本保守党は国政政党である百田氏の日本保守党と誤認させようとして設立されたものではなく、石濱哲信氏という政治活動家が2021年に結党したもので、百田氏の日本保守党(2023年結党)以前から存在する政治団体です。

 また、休眠団体というわけでもなく、石濱氏は日本保守党党首として、結党時からさまざまな政治活動を行っていました(その政治活動の中には、つばさの党の黒川敦彦氏と連携していた時期もあります)。

 この石濱氏の日本保守党は、現在も石濱氏が党首を務め、副党首に河合氏が就いています。なお、この石濱氏率いる日本保守党は国政政党である百田氏の日本保守党に対し、理念は全く異なるとし、自分たちが先に結党しているのに「日本保守党」という名称を商標出願をしているのはいかがなものか、という非難的な声明を出したほか、その後、対抗して自ら「日本保守党」という名称の商標出願をしたことを付記しておきます(百田氏の日本保守党の商標出願は2025年1月に登録されていることが確認されています)。

 なお、この石濱氏の日本保守党の結党は2021年であるものの、自ら大きく看板を掲げて選挙活動に乗り出したのは、百田氏の日本保守党より遅く、2024年の衆議院選でした。

 この時は2名の候補者を埼玉の小選挙区で擁立し、そのうちの1人が河合氏でした。河合氏はこの時、戸田市を含む埼玉15区から立候補しましたが、立候補者5人中5位で落選という結果に終わっています(とはいえ、1万6157票も獲得して、かなり健闘しています)。

 今回、河合氏が戸田市議会選に当選し、地方議会とはいえ初の議席を有したことから、今後、石濱氏の日本保守党が知名度を上げ、百田氏の日本保守党と並び立つのか、展開が注目されます。

号泣県議の「維新の会」

 河合氏と石濱氏の日本保守党のネーミングが、百田氏の日本保守党にあやかったものではないことを述べました。

 しかしながら、過去の事例を見てみると有名政治団体にあやかったと思われるような政治団体も存在します。

 その中でも特筆すべきものとして「維新の会」が挙げられます。

 大阪府知事であった橋下徹氏を中心とした「大阪維新の会」およびそこから発展した「日本維新の会」は現在でも勢いはかなり強いですが、設立時からしばらくは関西を中心にその勢いとブランド力は圧倒的といえるほどのすさまじいものがありました。

 そのため、「維新」という言葉が一般的なものであることもあって、橋下氏の維新の会とは関係のない人たちが自分たちの政治団体に「維新の会」とつけてしまった事例がかなり見られるのです(ちなみに橋下氏の維新の会という名前は大前研一氏が以前に結成した「平成維新の会」を参考にしているといわれています)。この全国各地に突如出現した「維新の会」たちですが、うまくいった人もいれば、うまくいかなかった人もいます。

 例えば、中村勝氏という堺市を中心に活動していた政治運動家(いわゆるインディーズ候補と呼ばれることが多いです)は「日本維新会」「二十一世紀日本維新会」などの政治団体を名乗って立候補していました。

 当選することはかないませんでしたが、2012年の衆議院選では選挙公報に「21世紀」を小さく書くという手法を用いた上に立候補した選挙区(大阪16区)では橋下氏の維新の会が候補者を擁立しなかったことから、10%以上の得票率を獲得し、供託金が返還されるという大健闘を示したこともあります(なお、その後の中村氏は「維新の会」的な名称を名乗ることをやめて、東京で活動していることが確認されています)。

 また、全国的に有名になった事例として2011年に確認されている「西宮維新の会」が挙げられます。この「西宮維新の会」を立ち上げた人物は以前より兵庫県の各種選挙に立候補していましたが、あえなく惨敗し続けていました。しかし、この人物は2011年4月の兵庫県議会選で西宮市選挙区から「西宮維新の会」所属で立候補し、橋下氏を含めた維新の会を名乗る候補者が他にいなかった効果なのか、候補者10人中7位で最下位当選を果たしたのです。

 この人物はしばらく議員活動を続けていましたが、2014年に政務活動費の不正が発覚し、記者会見が行われました。そして、この人物は記者会見で大きな話題をさらいました。この人物こそ、号泣しながらの記者会見で全国に衝撃を与え、一躍有名になった野々村竜太郎氏でした。野々村氏は最終的に不正により有罪となり、政治活動を引退。選挙における「西宮維新の会」はこの時のみで終わっています。

古くは自民党との誤認を誘った事例も

 前述した「維新の会」のような、有力な政治団体と類似した名前で立候補した事例は過去にも存在しますが、その中では極めて悪質なものもありました。例えば、東京都知事選では、金銭的な利益などを求めた他候補の妨害目的の泡沫候補が多数現れたことがありますが、その中には自身を有力候補・団体と有権者に誤認させようとする候補も存在しました。

 基本的に東京都知事選においては、有力候補は各種政党・政治団体の推薦・支援を受けるという形で、無所属で立候補することがほとんどです。ここに泡沫候補の付け込む隙がありました。

 代表的な例として、1967年の都知事選では、自民党推薦の候補は無所属となっていましたが、ここで渡辺清行氏という人物が「自由民主党友会」なる組織の公認として立候補しました。もちろんいわゆる自民党とは無関係です。

 しかし大政党の自民党の候補という誤認を誘うことに成功したのか、4万票以上獲得し、非有力候補の中では1番の得票数で4位につけています(5位の赤尾敏氏が約1万6千票でかなり差がついています)。

 また、1983年の都知事選においても、古賀裕也氏という人物が「日本自由民主党」なる組織(もちろん自民党とは無関係)の公認で立候補し、この時も自民党推薦の候補は無所属であったことから、2万票弱を獲得。こちらも非有力候補の中では1番の得票数で3位につけています。

 このように有力な政治団体と同一、あるいは似たような名前の政治団体が選挙に登場することは珍しくありません。

 前述の通り、今回の河合氏の場合は、彼らの党名が先にあったわけですが、あえて誤認を狙う組織が登場する可能性はあります。

 有権者が候補者の所属・公認・推薦団体について、投票前にいま一度確認することは極めて大事であるといえます。

宮澤 暁(みやざわさとる) 1984(昭和59)年東京都生まれ。東京理科大学理工学部卒業後、埼玉大学大学院理工学研究科博士前期課程修了。化学関連企業に勤務する傍ら、個性的な候補者や珍事件など変わったトピックスを扱う選挙マニアとして活動。Actin名義でブログや「選挙ドットコム」などに寄稿中。

デイリー新潮編集部

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。