「備蓄米」を放出で「5キロ5000円」の緊急事態は解消されるか…農水省への風当たりが強まる一方、本当の問題は日本人の“貧困化”との声も

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90年代は5キロ4900円

 多くの専門家が「コメの高騰が明らかになった昨夏に備蓄米の放出を決めていれば、今ほど価格は高騰しなかった」と口を揃える。静観を決め込んだ農水省に問題があったことは言うまでもないが、コメの高騰に国民が悲鳴を上げている背景には、他にも「日本人が貧しくなった」という要因もあるという。

 甲信地方でコメを生産する農家は「急激な高騰で消費者の立場からすると高く感じるかもしれませんが、コメ農家としては30年前の価格に戻っただけ。これまでが安すぎたのです」と言う。

「昔から米価は玄米60キロ(1俵)を基準にしていて、1993年に冷夏で“平成の米騒動”が起きた時は2万3607円まで高騰しました。それまで政府は食糧管理法で主食であるコメの安定需給を図ってきましたが、平成の米騒動を契機に95年に食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)に改め、コメの需給を市場原理に任せるようになりました」

 以来30年間、米価は下降傾向にあり、コロナ禍の2021年には玄米60キロが1万2804円にまで下がった。

「それと同時に生産性の向上を目指す農地の大規模集約化が進められ、耕地面積が小さい農家はコメ作りを辞めていきました。その間、米価は下がり続けたので、農地を集約した大規模農家ですらコメで稼ぐことが難しくなり、中山間地域には休耕田が増え……。米価は昨年の夏前から急に上がり始め、12月には玄米60キロが2万3715円まで上昇しました。現在の価格は消費者にとっては高い額かもしれませんが、コメ農家からすれば30年前の水準に戻っただけという認識です。それが高いと感じるのは、この30年間で日本人の“貧困化”が進んでしまったという側面も無視できないと思います」(同・農家)

価格を下げてしまった豊作

 先の「小売物価統計調査」を見てみよう。90年代の価格で資料として残されているのは「複数原料米(ブレンド米)」の5キロ。調べてみると、確かにコメ農家の男性が指摘した通り、1989年から1991年までは5キロ4900円台で販売されていたことが分かる。今の感覚ではかなり高額な金額だ。

「『平成の米騒動』は1993年の梅雨が長期化し、夏になると日照不足と長雨の悪影響でコメの収穫が不安視されたのが端緒でした。当時、コメの需要は1000万トンでしたが、収穫されたのは783万トン。23万トンの備蓄米を放出しても“焼け石に水”でした。小売物価統計調査を見ると、翌年の94年は5キロの複数原料米が6161円と文字通りの高騰を示したのです」(前出の記者)

 だが幸か不幸か、平成の米騒動が終息に向かうと豊作が続く。コメの緊急輸入も価格を押し下げ、1997年に複数原料米は5キロ4489円となり、1983年の価格まで後退した。

 米価が下がれば、当然ながら農家の生活は苦しくなる。97年11月、米どころ東北地方のブロック紙・河北新報は「コメ価格続落 ああ無情/実るほど頭抱える…生産者 採算割れも心配/流通業者 値引き競争激化」との記事を掲載した。

 記事によると、97年10月に行われた自主流通米の入札でササニシキやひとめぼれなど東北のコメは60キロ1万6000円から1万7000円。数年前は2万円台が当たり前だったといい、40代のコメ農家は「毎年50万円ずつ粗収入が減っている。1万5000円がギリギリの採算ラインで、これ以下になると農業を辞めるしかない」と深刻な状況を訴えた。

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