「政治家の人間そのものをまず観察」「朝日新聞、創価学会を厳しく批判」 政治記者65年、元フジテレビキャスター「俵孝太郎氏」の信念
政治家の倫理観、品性を重視
保守派の論客と呼ばれた俵孝太郎氏は、政治家の行動様式や考え方だけでなく、個々の人間そのものについてもじっくり観察して捉えていた。それだけの下地がなければ政治家の発言を理解し評価することなどできないと自戒していた。
1960年の池田勇人内閣の発足当時、俵氏は首相担当の政治記者。一升瓶を抱えた池田首相が私邸で記者を相手に所得倍増計画を根気よく説く姿が目に焼き付いた。“貧乏人は麦を食え”の暴言がやり玉に挙げられたが、実際に麦飯を食する倹約家だと知る。ホテルのパーティーで残った料理を粗末にしてはいけないと首相自らボーイを呼んで折詰にして、若い記者に持ち帰らせた様子も見た。
一方、河野一郎氏と初対面した時、差し出した名刺を爪でポーンと弾き飛ばされた経験を忘れなかった。
政治評論家の小林吉弥氏は振り返る。
「政治家を人物からつかむからこそ倫理観、品性、節操を重視していました。だが、レッテルを貼らない。政治評論家の多くは政局を語りますが、俵さんは政策を論じる数少ない存在でした。大きな枠組みから見渡して問題提起し、奇麗事や理想論を口にしなかった」
渡邉恒雄氏とは東大在学中以来の仲
30年、東京生まれ。商工大臣を務めた祖父の俵孫一氏は、小泉純一郎元首相の祖父、又次郎氏の親友。
東京大学文学部に進み、倫理学を学ぶ。4歳年上の渡邉恒雄氏は東大在学中以来の仲である。
53年、産経新聞に入社。大阪で労働組合などを担当後、59年に東京本社で政治部記者となる。社会党の浅沼稲次郎氏が演説中に刺殺された現場に居合わせた。
「かつて社会党には世のために汗を流した政治家がいたと言い、保革で単純化しては語らない」(小林氏)
フジテレビキャスターに
産経新聞の論説委員を経て69年、38歳でフリーに。政治取材を続けながらラジオの文化放送でニュースキャスターを担当。78年には請われてフジテレビへ。87年までキャスターを担いつつ、放送記者を育てた。「こんばんは、俵孝太郎です」という鼻にかかった声のあいさつは、ビートたけしらに物まねされ人気者になる。
「ニュースをショーのように崩さず、政治記者として発言に責任を持つ姿勢を感じました」(小林氏)
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