父の棺からこっそり髪を切り取りDNA鑑定…「結局、僕は誰の子?」 真実を知っても48歳男性の謎は深まるばかり
「麻衣ちゃん」との出会い
ほんの少し視点を変えたら、何か別のものが見えてくるかもしれないのだが、自分で自分を追いつめた人には視点を変えることもできないのだろう。いったいなにに悩んでいるのか、なにを苦しんでいるのか彼自身、わからなくなっていたようだ。
「それをわからせてくれたのが、その後、出会った麻衣ちゃんです。僕が40歳のときに街で会った20歳の女性です。彼女は家出してきて泊まるところもないと言う。うちに連れて帰りました。もちろん男女関係はありません。そんな気にはなれなかった」
麻衣さんは虐待されて育った子だった。シングルマザーの母の交際相手に殴られたり蹴られたりし、さらに性暴力も受けていた。母親はそれをわかっているはずなのに見て見ぬふりをした。
「20歳にして絶望していました。僕も何度も絶望した人生だったけど、彼女ほど尊厳を踏みにじられてはいなかった。人と比べて自分がマシだというのは嫌な言い方ですが、自分自身、しっかりしなくちゃいけないなとは思いました。麻衣ちゃんは、そんな暮らしをしてきたのに明るくて優しい。落ち着いたら学校に通いたいと言っていました。家出して数日間は路上生活に近かったらしい。彼女は料理がうまくて、それもまたなんだかせつなかった。母親はほとんど料理しない人だったようで、スマホを見ながらよく自分で作っていたんだそう」
アパートを借りるのは大変だから、栄介さんはルームメイトにならないかと持ちかけた。麻衣さんに収入があれば、食費と家賃を2万円払ってくれればいい。シェアハウスより安いよ、と。
「麻衣ちゃんはすぐにアルバイトを探し始めました。やはり手っ取り早いのは夜の仕事だと言って決めてきた。そのあたりは僕は口を挟みませんでした。ときどき夜食を置いておくと、翌日は出がけに作ったのか麻婆豆腐なんかが置いてあったりした。毎月、3万円入れてくれました。彼女は3年間、必死にバイトをしながら勉強もしていたようで、お金を貯めたところで専門学校に入学しました」
「自分の人生を大切にすべきだった」
専門学校に入ってからもルームシェアは続いた。そして彼女は無事に資格を取得した。その間、栄介さんと麻衣さんの間には一度も性的な関係はなかったというから驚く。
「1度だけ麻衣ちゃんがしかけてきたことはありました。お礼をしたいと言って。でも僕は心のどこかで、僕の人生に対しての贖罪をしなければという気持ちがあった。だから娘のような年齢の彼女を弄ぶ気にはならなかったし、かといって恋愛感情もわかなかった。いい子だし好きだったけど、やはり年の離れたいとことか、なんだか親類みたいな気がしていたんです」
2年前、麻衣さんは独立していった。長く一緒に暮らした娘を独立させたような気持ちだった。栄介さんは麻衣さんが毎月入れてくれていたお金を遣わずにとっておき、それを持たせようとしたが彼女は「それだけはダメ」と頑なに拒否した。
「いつかお金に困ったらいつでも言って。これを貸すからと言ったら笑っていました。今でも麻衣ちゃんとはときどき食事をしたりしています。栄介さんは私の育ての親だねと麻衣ちゃんが言ってくれたことがあって、それが僕の心の支えになっている」
麻衣さんが去ったあとは、またいつものように虚無感に打ちのめされたが、これでいいんだと満足感もあった。自分のしたことで満足したのは、麻衣さんとの件だけかもしれないと栄介さんはつぶやいた。
「僕も麻衣ちゃんのように、もっと若いころ目覚めればよかったんですよね。自分の人生をもっと大事にすべきだった。でも今からでも遅くはないのかもしれない」
そういえばと久しぶりに戸籍上の妻である晶子さんに連絡をしてみた。彼の声を聞くと、晶子さんは黙って電話を切ったという。それでもいいかと栄介さんは思ったそうだ。
「どうして離婚しないのかわからないけど、彼女がしたくないならしかたがない。自分が結婚していることはたまに思い出すし、これだけ別居していれば離婚も成立するはず。でもそれもめんどうなので」
この先の人生に大きな期待を抱いているわけではない。思い起こせば、大恋愛をしたこともない。いつでも感情を表さずに淡々と生きてきたつもりだったと彼は言う。それでもいい出会いがあれば、生き直すことは可能なのかもしれないと、この年でようやくわかったと彼は少しだけ笑顔を見せた。
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当初の結婚生活では自ら破滅に向かうような振る舞いをしてしまった栄介さん。やはりその“出自”が関係しているのだろうか。疑念に苛まれたその半生は、記事前半で紹介している。
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