義実家を毛嫌いし、僕を鼻血が出るまで殴った母…その“理由”を知って48歳男性は「うつ」になった

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【前後編の前編/後編を読む】父の棺からこっそり髪を切り取りDNA鑑定…「結局、僕は誰の子?」 真実を知っても48歳男性の謎は深まるばかり

 人はなにを目的に生きているのだろう。10代のころのように、そんなふうに考えることはないだろうか。生まれたときから人は「死」に向かっている。しょせん、人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎない。そんな考え方もある。だからこそ、できるだけ楽しく笑って生きていきたいという人もいれば、なにをしたって空虚な気持ちが埋められることはないと悲観的になる人もいるだろう。

「50歳を目前にして、自分の過去や人生があまりにも情けないと改めて感じています。結婚も失敗したし、一緒に住んでいた女性も出て行ってしまった。それでも、情けない自分をようやく少しだけ受け入れることができるようになった気がします」

 滝村栄介さん(48歳・仮名=以下同)は力ない声でそう言った。人生で絶好調だったのは、バレンタインデーにチョコレートを3つもらった10歳のときだとつぶやいたので、思わず笑ってしまった。つられて少しだけ笑顔になった栄介さんだが、またすぐうつむいて黙り込む。

「普通でよかったんだけどなあ、人生」

 そう言うが、普通ほどむずかしいものはない。

母の嫌い方はすごかった

 栄介さんは北関東の小さな町に生まれた。祖父母は農業、父はサラリーマンだった。祖父母の家と自宅は近かったから、栄介さんはよく遊びに行っていたが、母は父の両親を毛嫌いしていた。

「母も仕事をしていたので、僕と年子の妹は、主に祖母がめんどうを見てくれていた。それなのに母の嫌い方はすごかったですね。仕事終わりに祖父母の家に来て、『ほら、帰るわよ』と玄関先で大声を張り上げる。祖母には挨拶ひとつなかった。祖母はなにも言わずに僕らを送り出すだけ。母がいないと、おしゃべりだったけど、母の前では一言も口をきかなかった。なんだか家族関係がおかしいなと思ったのは小学校低学年のころでした。父に至っては、自分の両親の家にさえ近寄らなかった」

 小学校中学年になると、彼は塾や習い事が増え、祖父母の家に行くこともなくなった。そのころだったか、栄介さんが学校で調子にのって女の子のスカートをめくったことがある。セクハラなどという言葉すらなかった時代だ。好きな女の子の気を引きたかっただけだった。

「当時はよくあることだったのに、女の子が泣いて親に訴え、学校で問題視されたんですよ。親と一緒に学校に呼ばれ、本人に謝って一応おさまったんですが、母はものすごい形相で教師の前で僕を殴りつけました。先生に止められたくらいです。僕は鼻血を出し、顔が別人のように腫れて……」

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