「吉田義男氏」死去で考えた もし「清原和博」が1996年に阪神に移籍していたら…FA争奪戦で、伝説の口説き文句「縦じまを横じまにしてもいい」が飛び出した

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 阪神タイガース一筋で、俊足・巧打・守備の名手として活躍。そして監督を3度にわたって務めた吉田義男氏が死去した。享年91。1985年、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の強力クリーンアップを擁し、チームを史上初の日本一に導いたことでその名を刻んだが、それと同様、あるいはそれ以上に大きなインパクトを残したのは、1996年11月、3度目の監督就任の際、巨人とのFA争奪戦となった清原和博に発した「縦じまのユニホームを横じまに変えるような気持ちがある」という“伝説の口説き文句“だ。清原は大いに感激し、阪神入りに大きく傾いたのだが…。

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 1996年シーズンのプロ野球最大の「FA案件」は、西武の主砲・清原。獲得に最も熱心だったのは巨人ではなく阪神だった。

 1995年、1996年と阪神は2年連続の最下位に沈む。その時までの10年間でAクラスはわずか1度と暗黒時代にあった。1996年オフ、阪神は唯一(当時)の日本一を達成した吉田氏にチームの再建を託す。その再建の目玉が「清原獲得」だった。

 阪神は、交渉解禁となる11月12日の深夜0時に本人へ獲得の意思を伝えた。3日後の15日には新宿の京王プラザホテルまで出向いて第1回目の交渉をおこなっている。

 その際、清原に「10年契約総額36億円」に加え、「将来の監督だけではなく球団社長」と、どれをとってもプロ野球史上最高待遇となる契約を提示した。吉田監督の「縦じまを横じまに…」という口説き文句はこの時に出た。清原も会談後、報道陣に「熱意で汗が出てくるような状態」と満足気な表情で述べた。

「吉田監督は、新庄(剛志・現日本ハム監督)、清原、桧山(進次郎)というクリーンアップ構想を持っていました。当時、見るに堪えないほど弱すぎた阪神の改革を清原に託そうとした。“プロ野球は阪神と巨人が強くなきゃ盛り上がりませんよ!”というのが吉田さんの口癖でした」(古参の阪神担当記者)。

 吉田氏は2度目の監督時の1985年オフ、ドラフト会議で清原を指名したものの、クジを外している。そのリベンジの思いも強かった。

「一方の清原も、阪神の“史上最大の誠意“に大感激して一気にタイガース入りへ傾きました」(当時、取材を担当していた記者)

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