戦後80年…愛子さまと悠仁さまが抱く強い思い…「皇室と沖縄」の固い絆
ひめゆりの悪夢を乗り越え
昭和50年7月、皇太子時代の上皇陛下は美智子上皇后とご一緒に初めて沖縄県を訪れられ、惨劇を象徴する糸満市の「ひめゆりの塔」で過激派から火炎瓶を投げつけられた。あまりにも有名な反皇室テロ事件だ。戦火を経た沖縄への訪問は父・昭和天皇が果たせなかった宿願。それだけに当時の沖縄では皇室に対して複雑な感情を抱く人も多く、上皇陛下ご自身にも特別な感情があったとみられている。
平成5年4月には、全国植樹祭ご出席のため、即位後初めてとなる沖縄県入りを実現される。天皇皇后のお立場で糸満市の南部戦跡をご訪問、太平洋戦争で犠牲となった多数の戦没者の冥福を祈られた。沖縄平和祈念堂で上皇陛下は、戦没者の遺族150人に「20万の人々が犠牲になったことに対し、深く哀悼の意を表します」と労わりの言葉を掛け「自国と世界の歴史を理解し、平和を念願し続けていきたい」と、お気持ちを素直に表明された。
5分間にわたるお言葉はメモを持たない異例の形式で、かみしめるように話されていた。歴代の天皇として初の沖縄ご訪問である。沖縄戦最後の激戦地となった糸満市の国立沖縄戦没者墓苑では、18万人の戦没者が眠る納骨堂にテッポウユリや菊を供えて深々と頭を下げられ、沖縄平和祈念堂で前にした戦没者遺族に「即位後、早い機会に沖縄県を訪れたいとの願いがかなった」と喜びを表していた上皇陛下は「戦争のため亡くなった人々の死を無にすることなく、平和を念願し続けたい」と結ばれている。この後、テロの記憶が残るひめゆりの塔を改めて訪れ、拝礼されたのだった。
退位を翌年に控えた30年3月には、再び国立沖縄戦没者墓苑に赴かれてご拝礼。日本最西端の与那国島も初めて訪ねられた。昭和50年に沖縄を初訪問された際、「この地に長く心を寄せ続けていく」と述べられた上皇陛下は、繰り返し沖縄に足を運び、皇太子時代も含めたご訪問は11回を数えた。
「沖縄の人々が皇室へ抱く感情に大きな変化をもたらせたことは、想像に難くないはずです」(同OB)
ご意志を引き継がれている今上天皇は皇太子時代の平成17年4月、沖縄県入り。ご訪問はこの時が4回目だったが、
「わが国唯一の激しい地上戦が行われた沖縄を訪れるたび、亡くなられた数多くの方々を忍び、平和の大切さ、尊さを思います」
とのご感想を公表された。
令和4年10月には、天皇皇后両陛下で即位後初めて沖縄県を訪れられ、国立沖縄戦没者墓苑にご供花。愛子さまはそのご様子を両陛下からお聞きになり、平和への願いを新たにされた。
皇室には、あまり語られてこなかった沖縄との強い結びつきもある。
1429年に建国した琉球王国は、450年の月日を経て明治12(1879)年に沖縄県となったが、明治天皇は長い船旅となるため直接の訪問は断念したものの、伊藤博文首相や大正天皇の東宮監督(東宮大夫)となる大山巌陸軍大臣ら重臣を沖縄に派遣。当時としては最新技術だった写真と、フランス仕込みの油彩画を持ち帰らせて、リアルで臨場感あふれる沖縄の姿を視察している。
[2/3ページ]