前歯を失い、パンチドランカー、双極性障害も… 元・東大生格闘家「巽宇宙」の異色すぎる半生
強くなりたいという思いから総合格闘技へ
勉強と共に、巽さんが励んでいたのは空手だった。
「高校時代から習っていた空手をやろうと思い、東大では少林寺拳法部に入部しました。当時は全国優勝するくらいの強豪だったんです。試合は演武(型)だったけれど、練習では極真やキックボクシングのようなルールも取り入れていた。強い先輩に蹴られて歩けなくなる一年生もいましたね。でも楽しかった。部内にどうしても僕が勝つことができない同期がいて、全国優勝するほど優秀なのに、その上灘高(偏差値78の全国最難関校)出身というすごい存在だった。最強の彼に勝つにはどうすれば良いのだろうって考えたんです。
ちょうどその頃に、ホリオン・グレイシーが『アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ』(通称UFC、アメリカを拠点としている世界最高峰の総合格闘技団体)を始めた。その流れで、僕は修斗(日本の総合格闘技団体)に所属したんです。“なんでもあり”の格闘技をやりたいって思った時に、日本だと修斗しかなかった。しかも自宅から歩いて行ける距離に道場もあった」
こうして1995年に修斗からプロデビュー。2000年に引退するまでの試合数は、14試合で、戦績は10勝1敗3分け。負けが少ないのは、巽さんが「試合に負けたら引退する」ことを公言していたからだ。
「負けたら辞めるっていうのは、親との約束事だった。多分、すぐ負けると思っていたのでしょうね。『VALE TUDO JAPAN(バーリトゥード・ジャパン)’97』という大会では、ジョーン・ホーキという柔術の世界チャンピオンと戦いました。試合は引き分けたけれど、ボコボコにされましたね。今は禁止技ですが、寝技での膝蹴りを顔面にくらって、バキって音がした。目が腫れて、その日に急患で診察を受けたものの“大丈夫”と言われた。翌日にもう一度病院に行ったら眼窩内壁骨折で、全身麻酔で手術を受けましたね。でもその一年後には試合(『修斗 Las Grandes Viajes 6』)で、勝っています」
不屈の闘志ともいえる現役時代だが、初めて気を失った瞬間は忘れられないという。
「基本的には打たれ強く、僕は一回しか倒れたことがない。ノゲイラ(アレッシャンドリ・フリランカ・ノゲイラ戦、2000年8月)戦だけです。ノゲイラからロープ際でフックを受けた。倒れたけれど、そこから記憶がなくてカウントが『フォー』と聞こえて立ち上がりました。少し、記憶が飛んだように思っていましたが、映像を見返したら20秒くらいの出来事で、体感速度とまったく違いました。最終的には首を絞められて、どんどん視界が狭くなってヤバいって感じてタップした。恥ずかしかったですけれどね」
また練習中に前歯も失っている。
「一階級上の相手と、スパーリングをした時に、持ち上げられて身体ごと落とされたんです。相手はプロ手前までいったような選手だったけれど、とはいえ僕の方が先輩でしたから、本当はそんなことになってはダメなのだけれど……。で、パキって前歯が折れてしまった。次の日に歯医者に行ったら、根が残っているから歯は残した方が良いと診断された。でも結局、10年位経って全部抜いてしまいました。差し歯をつける時もあるけれど、普通に食べてしまうと取れちゃうんです。それを治すためにしょっちゅう歯医者に行くのも面倒くさくて」
次ページ:40歳でのキック再デビュー、パンチドランカーでIQの低下
[2/3ページ]