吹き出す石油を前に「大事に育ててくれ」と涙…“日の丸油田”を打ち立てた「アラビア太郎」が“1回で10数億円が吹っ飛ぶ大博打”に勝った瞬間
第1回【中東で石油開発権を獲得した初の日本人「アラビア太郎」 高度経済成長期の日本を沸かせた“怪物実業家”の波乱に満ちた人生】を読む
67年前の昭和33(1958)年2月10日、実業家の山下太郎氏がアラビア石油株式会社を設立した。戦争を経て「石油、エネルギーの必要性を痛感していた」という山下氏は、日本人として初めて中東の石油開発権を得た人物だ。絶大な資金力を誇る欧米企業を出し抜いたこの展開は大きな話題となり、山下氏は「アラビア太郎」と呼ばれるようになった。
山下氏はどのような人物だったのか。第2回では「週刊新潮」が1989年に伝えた関係者の貴重な証言に続き、アラビア石油のその後を辿る。
(全2回の第2回:「週刊新潮」1989年3月2日号「国際石油資本に挑んだ『山下太郎』の功罪評価」を再編集・加筆しました。文中の肩書きは掲載当時のままです)
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【写真】三つ揃えの背広を着こなす「これぞ昭和の実業家」!…写真映えもピカイチだった山下太郎氏
“日の丸石油”を手にした7年後に死去
プレゼント攻勢が功を奏して、というだけでもないだろうが、山下氏は日本輸出石油株式会社としてサウジアラビアとの利権協定の締結(石油開発権の獲得)に成功する。場所はサウジアラビアとクウェートの主権が及ぶペルシャ(アラビア)湾の中立地帯だ。
1958年2月にアラビア石油株式会社を設立してサウジアラビア側の権利を継承し、同年7月にはクウェートとも利権協定を締結したが、問題はそれからだった。採掘権を得た海底油田から、石油が出るのか、出ないのか。1本試掘するたびに10数億円が吹っ飛ぶ。「空前絶後の大博打」と言われたユエンだ。
「昭和35(1960)年1月に油井から油が噴き出した時、山下社長はアラビア石油の全社員に対して、『寒空に男の子が生まれた。皆よろしく、大事に育ててくれ』と涙を流しながら話していたのを、今でも記憶しております」(山下氏の下で企画部調査役を務めた池田幸光氏、取材当時はアラビア石油)
中東から直輸入の“日の丸石油”を手にした時、山下氏は70歳。第3次中東戦争の行方を気にしつつ、心筋梗塞のために死去したのは7年後のことになる。遺産は45億円で、相続税額の31億円は、当時、史上最高だった。
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