宮内庁長官を激怒させた朝日新聞の「病名報道」 昭和天皇崩御の舞台裏を当時の皇室担当記者が明かす
「陛下のがん」説が広まり……
陛下が吐血してから6日目の9月24日、一時、39度前後の高熱があり、大量出血をして危険な状態となった。朝日新聞社がこの日の夕刊1面で、陛下の「すい臓部に『がん』」という見出しの記事を掲載したことから、宮内庁の藤森長官が激怒して同社に抗議した。「現在、陛下がご病気と闘っている中で『がん』などという記事は適切を欠く」「記事の内容が正しいかどうか以前の問題で、陛下は意識もはっきりしており、陛下のお気持ち、皇族方、国民の気持ちを考慮した場合に極めて適切さを欠いた記事と判断した」というのが抗議理由である。筆者も含め他社の担当記者はがんとは分かっていても書かなかった。しかし、抗議の経緯を記事にしたことから、国民の間に「陛下のがん」説が広まる結果となってしまった。
この日、筆者が記者クラブでご病状の原稿を書いていたら君が代が流れてきたので、陛下に何かあったのかと驚いた。ソウル五輪で、鈴木大地が100メートル背泳ぎで金メダルを獲得し、その表彰式の音声だった。この頃の数少ない朗報だ。
「いいようでもあり悪いようでもある」
自粛ムードが高まり、政治家の政治資金パーティーが次々と延期となる中で、あるパーティーが都心のホテルで開かれた。会の名称は急ぎ「国政報告会」と変更され、アルコール類は一切抜き。料理も減らし、開会の辞の後は参加者800人が陛下のご快癒を祈った。「国会活動の活発化は陛下のお心にも沿う」と胸を張ったのは、この会を開いた新人代議士で、今の石破茂首相であった。
10月1日午後、皇居に再び緊張が走った。陛下が多量の下血をして最高血圧は100を割り、意識も薄らいだ。緊急輸血のため、日赤の血液輸送車が相次いで到着。また、留学先のイギリスから一時帰国した礼宮さま(現・秋篠宮さま)が、成田空港から陛下のもとに直行した。
陛下はこの日午前、くず湯を飲んだ。陛下が物を口に入れたのは、先月22日の氷2かけら以来。経口摂取すると出血が重なるため、闘病期間中に食べ物を味わえたのは、その後のくず湯がもう1回と、水あめの計3回だけである。水あめを陛下が目を細めておいしそうに召し上がったので、侍医長が「もう一ついかがですか」と勧めると、陛下は「いいのかい」と言った。侍医長は、陛下が医者の指示に従い、我慢されていることを痛感した。
一進一退の病状が続く。10月6日朝、侍医長が拝診で「いかがですか」と尋ねると、陛下は「いいようでもあり悪いようでもある」とおっしゃった。本当は良くないが、周囲を心配させないために「いいようでもあり」を先に持ってくるのは、実に陛下らしい言い方だ。
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