倹約家で知的な紳士…「スタン・ハンセン」が小橋建太に伝授していたウエスタン・ラリアット“必殺技の極意”とは

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ラリアットの誕生

 プロレスラーになる前、アメリカンフットボールの選手だったハンセンは、突進する相手の動きを止めるミドル・ラインバッカ―のポジションが多かった。そこで、左腕を棒のように出して相手の首辺りを狙い、叩き返す。何せハンセンの上腕周りのサイズは60cmに迫り、これによる負傷者が続出したという。ハンセンが言うには、自身が現役選手だった時代に、この首へのチャージは禁止されたそうだ。その理由がハンセンなのかどうかは不明だが、全速力で走って来たところに、後のウエスタン・ラリアットを食らうわけだから、相手選手のダメージは容易に想像出来よう。

 もともと低めの重心やアメフト時代の足腰の強さに加え、タックルに入るタイミングのように、上体をやや斜めに浮き上がらせての炸裂は、まさに一撃必殺のフィニッシュ・ホールドの誕生だった。

 だが、ラリアットは見た目がシンプル、かつ効果的ということもあり、プロレス界では80年代中盤以降は、どんな選手も同技を使う“猫も杓子もラリアット”状態となった。

 後の使い手の1人である長州力(リキラリアット)ですら、ハンセン同席のトークショーで「それは、あれでしょう。今でいう……パクリ」と認めている(2024年3月17日)。直後にハンセンが、「『学んだ』ということだよな」と優しくフォローし、第一人者としての包容力を見せつけたが、別のラリアットの使い手には、激怒したこともある。

 それは若手時代から、 ハンセンを意識していた小橋建太だ。プロレスの常道とはいえ、負傷していたハンセンの左目を 執拗に攻めて激怒させ、平成時代では稀な、逆エビ固めで搾り上げられ「ギブアップ」してしまった(1991年7月20日。ハンセン、ダニー・スパイピーvs三沢光晴、小橋)。他にもフライング・ショルダータックルをラリアットで迎撃されたり、ムーンサルトをやるためにトップコーナーに上がった瞬間、その首を背後から刈るようにラリアットを見舞われたりしたことも。やられてばかりではいられない小橋は、いつしかラリアットを自分でも使い始めた。

 ある日の試合前、小橋はハンセンに呼び出される。後楽園ホール大会でのことだった。「お前、ラリアットをなんだと思ってる?」と厳しい口調で告げたハンセンは、こう続けた。

「何発も使うのは、ラリアットじゃないだろう!」

「!?」

「いいか。決めるのなら、1発で決めろ! お前がラリアットを使いたいのはわかったから」

 2人と何度も一騎打ちしている三沢光晴は、後年、こう評している。

「ラリアットをやって、最後まで(相手の体に負けず)腕をしっかり振り抜けているのは、ハンセンと小橋だけ」

 トップレスラーでありながら、堅実な生活ぶりでも知られた。後輩のテリー・ゴディがタクシーを使おうとすると、「出来るだけ電車を使えよ。日本の地理にも詳しくなれるし」と諫めた。ライバルやパートナーであり、破天荒な酒席でも知られた天龍源一郎は、ハンセンによくこう言われたという。

「『そんなにお金を使うと、後に残らなくなるぞ』と。(ブルーザー・)ブロディはブロディで、新聞で株を見ているし(笑)」

 大学時代からの知己だったハンセンとブロディは、共に実家が貧しく、奨学金制度を利用して 通学していた過去があった。レスラー・デビューしても収入が少なく、2人で畑のトウモロコシを盗んで食べて、夢を語りあったこともあったという。また、ハンセンはプロレスラーとしてデビューした年の秋、アキレス腱の大怪我で半年の休養を余儀なくされ、その間、日々の糧を得るため、ギブスをつけて釣り具店でバイトをした時期があった。この苦い経験から、「プロは何が起こるかわからない。だからいざという時のために、お金は貯めておかなければ」という考えに至ったのだという。

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