「女優のイメージを墓場の下まで背負って去った完璧な人」――作家・五木寛之を感心させた名優の名前

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

 暖冬、猛暑、梅雨の時期から記録的な豪雨と、近年ではもはや異常気象が日本のスタンダードになりつつあると言っても過言ではない。しかし、四季それぞれの恩恵を受け、折々の美しさを愛でてきた日本人にとっては喪失感を覚える人も多いだろう。

 こうした気候を見るにつけ、作家・五木寛之さん(92)も亡き俳優・八千草薫(1931~2019年)さんから届いた手紙の一行が、しきりに思いおこされるという。新刊『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)から一部を抜粋・紹介する。

 ***

八千草薫さんからの手紙

 手紙類を整理していたら、昨年(2018年)いただいた八千草薫さんの封筒が出てきた。

 読み返してみて、ここに挙げる何気ない一行にひどく心を打たれた。

「激しい豪雨ではなく日本らしい雨期になって欲しいです」

 台風19号(編集部註:2019年)だけでなく、この数年、思いがけない雨の被害が続いている。この国の天候がどうかしてしまったのではないか、と思わせる気象の変化である。

 しとしとと降り続く静かな雨ではない。熱帯地方のスコールを思わせる集中豪雨がゲリラ的におそってくるようになった。庭木を賞(め)でることを楽しみにしている、とおっしゃっておられた八千草さんにとっては、最近の雨は異国の現象のように感じられたのではあるまいか。

 八千草さんには、私の原作のドラマで何度も大事な役を演じていただいた。故・芦田伸介が扮(ふん)する音楽ディレクターが通う函館の小さな酒場、「こぶし」の女主人の役である。「旅の終りに」という古風な演歌の一節に、私はこんな歌詞を書いたことがあった。

旅の終りにみつけた夢は

北の港のちいさな酒場

暗い灯影(ほかげ)に肩寄せあって

歌う故郷の子守唄

 それは八千草さんの演じる女主人が、ひっそりと誰を待つでなく存在する架空の酒場のイメージだった。そしてその役は八千草さん以外には考えようがなかった。

女優・八千草薫を生き抜いた希有な存在

 女優さんに限らず、政治家でも作家でもそうだが、メディアを通して私たちが思い描くイメージと、現実の人物とでは大きな落差があるものだ。

 世界のトップテナー、パヴァロッティに会ったときもそうだった。これがあの大劇場の舞台を狭く感じさせる世紀のスターかと意外に思ったものだった。

 しかし、はじめてお会いしたときの八千草さんは、私たちが思い描く八千草薫そのものだった。そして頂いた手紙の文字も、文章も、完璧に八千草薫以外の何者でもなかった。

 あれも、これも、演じていたのだろうか? 人の知らない八千草薫の姿が、どこかに隠されているのだろうか?

 私はそうは思わない。いや、思いたくないのだろう。女優さんなら墓場の下までそのイメージを背負って去るべきである。そして八千草薫という人は、それを守り抜いて世を去った希有(けう)な存在だった。

 その手紙の一節に彼女が書いていた言葉が、最近しきりに思いおこされる。

「日本らしい雨」とはなんだろう。彼女が予感したのは、天候のことだけではなかったのではあるまいか。

 この国の人びとの営みや、人間模様が「日本らしい」気配を失いつつあることへのため息をそこに感じるのは私だけだろうか。

 彼女の死と共に、何か大事なものが失われたような気がしてならない。

※本記事は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)を一部抜粋したものです。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。