「唾を付けて投げる反則投球」で一世風靡 愛すべき“イカサマ投手”ゲイロード・ペリーの奇想天外エピソード
禁止でも職人は保護
大谷翔平の活躍で、日本にもMLBファンは急増。先日はイチローの殿堂入りが注目された。満票は逃したが日本では神格化報道が増えたように思う。MLBの殿堂には、神様だけでなく、ペリーのようなトリックスターがいることも胸に留めるべきだろう。アメリカ社会は、超一流の悪玉スターをも顕彰する寛容さ、奥深さがある。
スピットボールは100年以上も前「最初の変化球として登場した」ともいわれる。
1920年1月9日の朝日新聞に、こんな記事がある。
〈日本の野球では投手が球に唾を付けたりユニフオムの袖で之を磨き光らせて打者の眼を晦(くらま)す所謂スピツト球やシヤイン球が余り流行せぬが(中略)米国野球団組合では之を全廃する決議をした、目的は成るべく多くの安打を出さしめん為めであると云ふ〉
この文面から、スピットボールは「悪いことだから禁止する」という印象は薄い。打者が打てない、試合が面白くないから禁止するニュアンスだ。頭部への死球で死亡事故が起きたこともあるが、それは禁止された後の出来事だ。
さらに調べてみると、日本の野球観、頭の固い道徳論では理解できない事実があった。
1910年にエメリーボールが編み出され、打者がまったく打てなかったため、15年に禁止された。5年後の20年、「非衛生的だから」という理由でスピッターも禁止された。これについてスポーツ研究者の出野哲也が「Slugger」に書いている。
〈ただし、それまでスピッターを飯の種としていた17人の投手に関しては、死活問題とあって引退するまで投げることを許された。34年に17人の最後の生き残りであるバーリー・グライムズが引退して、MLBから表面上スピットボールは消滅した〉
ルールで禁止はしたが、職人は保護した。そんな社会背景の中で、消え行く伝統芸を復活させたのがペリーだった。
66年から78年まで13年続けて、ペリーは15勝以上の成績を残した。これを上回るのはサイ・ヤングの15年とグレッグ・マダックスの17年しかいない。この偉業を続ける間にペリーは、新たな覚醒を経験している。それは実際には投げずにスピッターを生かす投球術だ。
実はシンカー?
「唾以外にもあらゆる異物を付けたり、傷をつけたりした。塩、胡椒、チョコレートソース以外のものは何でも試した」
と語るペリーだが「投げている」と宣伝することで打者を疑心暗鬼にさせ、投げる前から自分のペースに持ち込んでいた。そしてマウンドに上がるや、わざと髪を触り、ユニフォームを触り、いかにも細工している雰囲気を醸し出して打者を精神的に追い込んだ。「実はシンカーだった」と証言した捕手もいるし、ペリー自身、「スピッターを投げるふりをしてフォークを投げていた」とも語っている。何が真実かは藪の中。
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