「空港で呼び止める人がいた」「迎えのタクシーが遅刻して」…82年の日航機「逆噴射」事故、生と死を分けた運命の糸
知人を別の飛行機に誘っていた元代議士
前方にいながら、座席で取った姿勢で生死を分けた例もある。前出の建築局職員である。
「11列目のA席に私が座り、隣のB席に先輩が座りました。機内では私は小説を読んで過ごしていましたが、先輩は前夜飲み過ぎてしまったようで、眠っていました。墜落した時、私は本を読んでいたため前傾姿勢でしたが、先輩はシートにもたれ、防御の姿勢を取っていなかった。先輩は搬送の途中で亡くなりました。溺死ということになっていますが、本当は内臓が圧迫されたのが死因だと思います」
福岡選出の元代議士で農水相を務めたこともある太田誠一氏は、日航350便に搭乗予定だった知人を全日空機に誘い、結果的に命拾いをさせた。
「空港の入口で呼び止める人がいたので振り返ると、選挙区内にある別々の会社の2人の社員が挨拶してきた。2人とも同じ時刻に飛び立つ日航機を予約していたが、話をしているうちに、一緒に羽田まで行こうということになり、2人はキャンセルして全日空に乗ったのです。その日のうちに電話がかかってきて、『先生に会ったおかげで命拾いをしました』と、ものすごく感謝されましたね」
様々な運命の糸が絡み合い、生と死は分かれたのである。
(「週刊新潮」2012年2月16日号「死者24名! 日航機羽田沖『逆噴射』から30年 『私はこうして死から逃れた!』」より)
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鑑定留置に方針変更された理由
乗員および日本航空の関係者たちはその後どうなったのか。
機長は事故後、腰椎骨折の重傷で都内の病院に入院。当時の捜査関係者は「週刊新潮」(1982年5月20日号)に対し、業務上過失致死傷での逮捕から鑑定留置に方針が変わったことを明かしている。鑑定留置は「故意による犯行という見方に立った」ものだが、まずは「事件発生当時の精神状態をはっきりさせることが先決」という判断だったという。
警視庁刑事部の捜査一課長として本件を担当した田宮榮一氏によれば、鑑定留置の請求につながったのは、機長のある姿を目撃したことだった。その詳細はデイリー新潮が報じた【入院中のK機長を目撃して「これは明らかにおかしい…」 羽田沖日航機墜落事故はなぜ1人も起訴できなかったのか:警視庁元鑑識課長の証言】で語られている。
航空事故調査報告書(昭和58年公開)によれば、機長は5月、鑑定留置のために転院。9月9日に「妄想型精神分裂病(現在の統合失調症)」および「犯行時は心神喪失状態」という鑑定結果が出たため、都知事により翌日からは措置入院に切り替えられた。さらに同日、警視庁東京空港警察署署長が「航空の危機を生じさせる行為等の処罰に関する法律第2条」などの罪により東京地方検察庁に送致したが、17日には不起訴処分となった。
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