「空港で呼び止める人がいた」「迎えのタクシーが遅刻して」…82年の日航機「逆噴射」事故、生と死を分けた運命の糸

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第1回【「ヘドロを大量に飲んで嘔吐」「至る所からうめき声がした」…82年の羽田沖墜落事故、生存者が語った凄惨な情景】を読む

 ホテルニュージャパン火災があった翌日の昭和57(1982)年2月9日、今度は羽田空港滑走路手前の海に日航機が墜落した。乗員乗客174人のうち死者は24人、重軽傷者は142人。福岡空港から始まったフライトは順調そのものだったが、着陸態勢に入った時には複数の乗客が異変に気付いていたという。「週刊新潮」は事故から30年の2012年、当時の乗客から貴重な証言を得ていた。機長みずからが逆噴射させるという異常な事故で、乗客の生死を分けたものは何だったのか。

(全2回の第2回:「週刊新潮」2012年2月16日号「死者24名! 日航機羽田沖『逆噴射』から30年 『私はこうして死から逃れた!』」をもとに再構成しました。文中の年齢および肩書き等は事故当時のものです)

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死者が集中したのは前方の座席

 困難を極めた救助活動もあった。東京消防庁蒲田消防署の猪狩武警防課長(当時)はいう。

「1人の乗客が座席とちぎれた機体に下半身を挟まれて、『痛い、痛い』と訴えていました。医師に点滴をさせて救助に入りましたが、状況は悪かった。可燃性ガス濃度が高く、火花が散っただけで爆発の危険があります。通常使用するエンジンカッターで機体を切断することができず、空気の圧力で回転させるエアーソーを使いましたが、これがあまりうまくいかない

 乗客は腹部を圧迫され、だんだん弱っていきます。ガス濃度の測定結果が出た時点で、本部から退避命令が出ていましたが、我々は救助を継続しました。手で座席のボルトを一つずつ外していって、油圧式救命器具で機体を持ち上げて何とか救出することができた」

 この乗客は一命を取り留めたが、彼らの生死を分けたのは一体何だったのだろうか。

「亡くなった方は機体の前方に乗っていた方が多かった。その方々は溺死やショック死だったと思います」

 実際、客席が1列目から42列目まである中で、死者は前方から11列目までに集中している。

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