「ヘドロを大量に飲んで嘔吐」「至る所からうめき声がした」…82年の羽田沖墜落事故、生存者が語った凄惨な情景

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生死を問わず、次々に救出

 猪狩警防課長が、事故の第一報を聞いたのは、ミーティングの最中、午前8時44分頃だった。「日航機の機影が見えなくなった」との連絡が入った。

「現場に向かう途中で『日航機は海に墜落した模様』という無線が入りました。これは大変なことになるぞ、と一気に緊張したのを覚えています。現場に着くと、滑走路の端の岸壁から300メートルほど先の地点で機首の折れている飛行機が見えた。海面は流れ出た燃料が朝日を反射して輝いていましたね。それを見ていると、岸壁を真っ黒い何かが登ってきました。ヘドロ状になった燃料で真っ黒に汚れた人でした。私は7名の蒲田指揮隊とともにボートで飛行機の方に向かいました」

 現場に到着した猪狩課長は鼻を突く強烈な臭いを嗅いだ。

「流れ出た燃料です。普通なら頭痛や吐き気を催すほどの臭気でしたが、現場ではすぐに気にならなくなった。機内にいる人、海面下に沈んでいる人、両翼の下にいる人など生死を問わず、次々に救出しました」

 ***

「だから私は助かった」――2月の寒空の下、真っ二つに折れた機体と海に放り出された乗客たち。第2回【「空港で呼び止める人がいた」「迎えのタクシーが遅刻して」…82年の日航機「逆噴射」事故、生と死を分けた運命の糸】では、生死を分けたポイントなどについて伝えている。

デイリー新潮編集部

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