「ヘドロを大量に飲んで嘔吐」「至る所からうめき声がした」…82年の羽田沖墜落事故、生存者が語った凄惨な情景
昭和57(1982)年のちょうど今頃、2つの大惨事が日本に衝撃を与えた。8日未明に東京都千代田区で発生したホテルニュージャパン火災と、9日朝に羽田空港で発生した日本航空350便墜落事故である。ホテルの窓から救助を求める宿泊客、海の上で2つに折れた機体といったショッキングな報道写真の数々を覚えている人は多いだろう。
日本航空350便はその日、乗員乗客174人を乗せて福岡空港を離陸した。フライトは順調そのものだったが、着陸態勢に入った時には複数の乗客が異変に気付いたという。結果、墜落による死者は24人、重軽傷者は142人。「週刊新潮」は事故から30年目の2012年、当時の乗客から貴重な証言を得ていた。機長みずからが逆噴射させるという異常な事故で、乗客の生死を分けたものは何だったのか。
(全2回の第1回:「週刊新潮」2012年2月16日号「死者24名! 日航機羽田沖『逆噴射』から30年 『私はこうして死から逃れた!』」をもとに再構成しました。文中の年齢および肩書き等は事故当時のものです)
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【写真】無残に折れた機体に警視庁の手漕ぎボートが近づく…緊迫の現場
キチンと改善させていれば…
33人の犠牲者を出したホテルニュージャパンの大火災があった翌朝。余燼(よじん)燻る東京・永田町の焼け跡をじっと見つめる男がいた。東京消防庁蒲田消防署の猪狩武警防課長(45)である。
猪狩課長は忸怩たる思いで黒く焦げたホテルを見あげた。というのも、3年前に蒲田署に異動になる前まで、本庁予防課の査察官として、何度もホテルニュージャパンの査察を行っていたからである。
「天井の裏まで入って調べた。スプリンクラーがきちんとついていないとか、防火設備の不備を指摘しました。横井英樹社長に何度か会いましたが、遵法精神の欠片もない。消防の注意なども見下していて、我々の話を右から左に聞き流すだけ。消防のプロである私たちがキチンと改善させていれば、あんな煙草の不始末であそこまでの火事にはならなかったはずでした」
猪狩課長はやるせない気持ちを抱きながら現場を離れた。午前8時半からのミーティングに間に合うように、勤務先である大田区の蒲田消防署に向かう。だが、この日が消防官人生で最も忘れられない激動の一日になるとは、知る由もない。
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