「そこの売れない歌手、こっちに来てお酌しろ」…「八代亜紀さん」屈辱の下積み時代を一変させた「真夜中のひと言」

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白バイの誘導でNHK入り

 この曲は八代の4枚目のシングル「なみだ恋」(73年2月)。八代がスター街道を駆け上がる大ヒットになった。

♪夜の新宿 裏通り 肩を寄せあう 通り雨…

 作詞・悠木、作曲・鈴木の名曲だ。八代が言う。

「鈴木先生にはその後もたくさん曲を作っていただきました。私にとって『音楽の父』です」

 鈴木&悠木コンビの名曲は「おんなの涙」「しのび恋」「おんなの夢」「貴方につくします」などが並ぶ。

 そして、79年5月に代表曲「舟唄」に辿りつく。

 紅白歌合戦に初出場したのは「なみだ恋」が発売された年。もちろん「なみだ恋」を歌った。当時はデビューから2年目の歌手でも、相当、売れていないと紅白に出ることはできなかったそうだ。しかし、八代は「なみだ恋」一発で初出場が叶ったことになる。しかも、日本レコード大賞の全盛期に歌唱賞も獲得した。その威力たるや、だ。

 当時のレコ大と紅白は大晦日に行われたが、73年の大晦日は八代にとっては忘れられない一日になった。

「レコ大の授賞式が終わってから白バイの誘導でNHKまで大急ぎで移動しました。信号が全部、青に変わる中、NHKホールに向かいました。ホールはまだ完成したばかり。そこで初めてやる紅白という特別な大会でした」

 到着したのは出番ギリギリのタイミングだった。司会者の声が聞こえた。

「間に合いました。八代亜紀さんが『なみだ恋』を歌います」

 会場には、当時住んでいた三軒茶屋の商店街の人が何十人も駆けつけ、横断幕を掲げて盛り上げてくれた。

 それもこれも「売れない歌手」と言われた屈辱と、鈴木&悠木夫妻の会話と呼びに来てくれた一夜の出来事が、八代にとってすべての始まりとなった。

 残念なことに八代は23年の暮れにこの世を去った。

 取材の折、画家でもある八代から猫がデザインされた小さなタオルをいただいた。我が家の21年に死んだ飼い猫ジュテは骨壺を置いたまま供養しているが、その骨壺の前に敷いてあるタオルは彼女にいただいたもの。見る度に、八代のことを思い出す。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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