「そこの売れない歌手、こっちに来てお酌しろ」…「八代亜紀さん」屈辱の下積み時代を一変させた「真夜中のひと言」
俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いは何か――。コラムニストの峯田淳さんは、日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけています。そんな峯田さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第2回は、多くのヒット曲で知られ、2023年12月に亡くなった歌手の八代亜紀さん(享年73)です。
【写真】屈辱の下積み時代を乗り越えて、演歌の女王としてファンを魅了した八代亜紀さんの往時の姿
「そこの売れない歌手」
八代亜紀には忘れられない言葉がある。
作詞家・悠木圭子が真夜中に八代の部屋のドアを開けて、声をかけた。
「起きてる? 曲ができたんだけど」
1971年に歌手デビューを果たすも、ヒット曲に恵まれない。プロとアマチュアが揃って参加する当時の人気番組「全日本歌謡選手権」(日本テレビ系)で10週勝ち抜き、夢に一歩も二歩も近づいたと思いながらも、悶々とする日々が続いていた。八代はこの時、22歳。
八代にはいつも頭をよぎる嫌な思い出があった。バスガイド、銀座のクラブシンガーを経て、「全日本歌謡選手権」を10週勝ち抜こうと闘っていた時に、屈辱的な経験をしている。その頃の八代は番組出場の合間に、売れない歌手ながらキャンペーンもこなしていた。そのキャンペーンとラジオ番組出演で呼ばれた、とある町でのこと。選手権を4週勝ち抜いた頃だった。
イベントが大成功し、体育館でお弁当を食べることになった。町のお偉いさんに「お疲れさん、食べなさい」と声をかけられた。お腹ペコペコの八代は勧められた弁当を喜んで食べようとした。すると、そのお偉いさんが、今度はこう言った。
「そこの売れない歌手、一緒にメシを食う暇があったら、こっちに来てお酌しろ」
その言葉にムッとした八代は「じゃあ、食べません」と言いながらも、2回はお酌したという。だが、3回目は「もうしません」「食べません」と拒否して、その場を離れた。
「そこの売れない歌手」
そのフレーズは選手権出場中、片時も頭から離れることはなかった。「今に見ていろ」。しかし、何かが噛み合わない。
選手権を闘っている間も作曲家・鈴木淳のレッスンを受け、10週勝ち抜いた後は鈴木の家の2階に居候させてもらった。鈴木夫人が、冒頭で紹介した悠木だ。
「レッスンを受けながら、先生の曲ができるのを待ちました。私はいつ先生に呼ばれてもいいように、寝ないで夜中の2時、3時に先生がピアノをポロンポロンと弾く音を聴いていました。すると、先生と奥様の『呼んでおいで』『もう寝てるわよ』というやり取りが聞こえてきたんです」
それから、階段を静かにパタパタとあがって来る音。ソッとドアを開け、悠木がかけた言葉が「起きてる? 曲ができたんだけど」だった。
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