逃亡49年「桐島聡」はなぜ、死に際に名乗り出たのか 「さそり」中心的メンバーが託した手紙の中身

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49年間の逃避行生活

 また、黒川無期囚は、江戸川作業所で負傷者1名が出たことは49年間の逃避行生活と無関係ではないと推察する。

「(桐島容疑者は)負傷者への贖罪の意識から人並みの幸せを求めず、そういう人生を拒否することで、刑務所での服役以上に自分に鞭を打ち続けることではなかったのか。その日々が無駄でなかったことを自分自身に納得させ、己の存在証明を第三者に知らしめることが死に際の名乗りではなかったのか。ダイイングメッセージは同志への死亡通知で、苦行生活からの自己解放宣言ではなかったのか」と分析している。

 また、「さそり」元メンバーの宇賀神寿一さんは「桐島が(逃避行先を)湘南にこだわったのは、自分との約束があったからではないか」といい、1975年5月19日のグループ一斉検挙の際、9月9日に鎌倉の宇賀神社で再会することを決めていたと明かした。

 1975年に逮捕、77年にダッカ事件で超法規的措置で釈放、95年に逮捕された元大地の牙・浴田さんも「(事件当時、グループ間の交友はなく)桐島君のことは知らなかった。(逃亡生活の中で)自分が苦しんだのは人間関係。巻き込めば、幇助罪になる。親しくなった人に嘘をつき続けるのは、つらかったはず」と話していた。

 桐島容疑者の遺骨は逗子市内の葬儀社が管理し、5年の保管期間を経てから無縁墓地に合葬される予定。今年は、桐島容疑者を主人公にした、古舘寛治主演の映画「逃亡」(足立正生監督、3月15日)と毎熊克哉主演の「桐島です」(高橋伴明監督、7月4日)が公開される。

デイリー新潮編集部

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