盟友の逝去で止まっていた新アルバム制作に着手中…「鈴木慶一」が紡いできた音楽の絆
原田知世作品をプロデュース
90年代には、原田知世のアルバムを3作続けてプロデュースした。1992年の「GARDEN」にはじまり、「カコ」(1994年)「Egg Shell」(1995年)と続く作品群は、原田のファンの間で「鈴木慶一三部作」とも呼ばれる。
「知世ちゃんは、プリプロ(レコーディング前の作業)にも立ち会ってくれて、小さなスタジオで一緒に作業していた。彼女も打ち込みをするようになって、当時、私が一人で住んでいた自宅までデータの入ったフロッピーディスクを持ってきてくれたりもして」
知世の感性とも相まった鈴木のプロデュースセンスが生かされ、作品は評判を呼んだ。
「知世ちゃんは、スタジオにはスタートから終わりまでほぼずっといてね。じっと音に耳を澄ましていた姿が印象的だね。そしてこの音は好きかいとか質問すると重要な意見を言ってくれた」
音楽との接し方
国内外のあらゆる音楽に精通する鈴木だが、それでも1970~1980年代の曲で聞き逃してた曲があると、SNSなどを介して人に尋ねることがあるそうだ。かつては「知らない」ことが恥だった。通っていたバーで未知の曲がかかると、バンド内でじゃんけんをして、負けた者が何の曲かをマスターに尋ねに行っていたほどだ。
「昔は知ってるふりをしていたけど、今は『その曲、何?』と気軽に聞ける。まあSNSには悪いところもあるけれど、そういうのはホントにいいところ。コメントがあるとこちらも気に入った曲を紹介して。そういうレスポンスを余計なお節介と思わずに楽しめるのがいいね。お節介だらけの中でね」
頭脳警察・PANTAとの絆を形に
現在、制作に取り組んでいるのは、かつて、頭脳警察のPANTA(中村治雄)と組んで1993年に結成したユニット「P.K.O」(Panta Keiichi Organization)のアルバムだ。2006年にカバー曲中心のライブアルバムを発表したが、オリジナルアルバムはなかった。PANTAの存命中にアルバム制作に着手するも、2023年7月に盟友が逝去したことで作業が止まったままになっていた。
「詞はPANTAが、曲は私が全て作って。5曲はPANTAの歌がもう入っているし、バックトラックは全部できているけど、あと5曲のボーカルがない。私が歌うしかないなと。5曲入りのミニアルバムも考えたけど、10曲聴きたい人も多いはず。本当ならPANTAの誕生日(2月5日)に間に合わせたかったけれど、今年の早いうちに出せれば」
さらに2026年のムーンライダーズのデビュー50周年に向けたアルバム、ソロアルバムの企画も進行中。引く手あまたの現状は、なかなか落ち着きそうにはない。
「詞曲をリリース出来るのは非常にうれしいこと。メジャーであろうがインディーであろうがね。若い頃はライブをやる場所を探して一生懸命だった時期もあった。それを考えれば、音楽を辞める人もいる中で、こうして作品を発表したりライブをやる場があるのは、本当に幸せだと思うよ」
先に逝った仲間たちの思いも背負いながら音楽を続けていく。
***
第1回【日本の音楽シーンを大きく動かした「母」の存在…あがた森魚も紹介 鈴木慶一の音楽人生】では、あがた森魚との出会いでデビューにまで至った経緯などを語っている。