「悲壮感とは無縁で、お見舞いも断っていた」 森永卓郎さんの“最後の編集者”が明かす、情熱に溢れた生き様

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「泥まみれの子供」

 中野氏が続ける。

「2作目となる『書いてはいけない』の執筆の最中にがんと診断され、その時は本人も“これが遺作になる”との覚悟を持っていました。私も“何としてもこの本を出さねば”と必死でしたが、実はがんになる前と後で、森永さんの仕事に対する姿勢や生き方に変化はありませんでした」

 理由は、自分の人生を「泥まみれの子供」に例えた、森永さんの“生き様”にあったという。

「本人いわく、“朝から泥んこになって遊びまくっている子供と同じで、夕方になってクタクタに疲れ、満足したら家に帰る。僕はそういうふうに生きてきた”と話していました」

 その疾走感は闘病中も減速することはなく、

「メールを送ると、次々と返信が来ることも珍しくありませんでした。私が“ここは削りましょう”と書けば、森永さんが“そこは削ってもいいけど、ここは残したい”と返すなど、パソコン越しながら普通に会話をしているようなラリーが続きました」

病状を尋ねなかった理由

 仕事における議論では互いに妥協を許さなかった一方で、中野氏はこの間、森永さんに病状を尋ねることはあえてしなかったとも。

「森永さんの限られた時間を奪いたくないとの思いが強かったのです。もともと森永さんは来世を信じておらず、“死んだら終わり”と考えていて、闘病中も悲壮感とは無縁だった。実際、お見舞いなども一切断っていましたから」

 4月上旬に出版される新刊のタイトルは『保身の経済学』になる予定だが、

「自らの軌跡も自戒を込めて振り返りつつ、社会に蔓延(はびこ)る“保身”が日本経済停滞の原因となっている構造を描写する、森永さんなりの新しい日本論です。がん宣告を受けた時、“保身は一切捨てた”と話した森永さんが“最期に言いたかった”ことをすべてブチまけた渾身の作品です」

 訃報に接し、中野氏が覚えたのは悲しみより、実は「祭りが終わった」ような喪失感だったという。

週刊新潮 2025年2月13日号掲載

ワイド特集「やってられない」より

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