横尾忠則の世にも奇妙な“UFO目撃談” 「現場にいた誰ひとり記憶がなかった」
読者の中にもUFOを見た! という方が沢山いらっしゃるかと思いますが、今回はそんなUFOの話でもしたいと思います。
高校3年の時、通っていた夜学の英語塾からの帰り道での出来事です。クラスメート5~6人と自転車で、市内を流れる杉原川に架かった豊川橋の前に来た時、川向こうの3階建ての商工会議所の上空20メートルの高さの所に、異常に輝いたかなり大きい光体が浮上していました。全員自転車を止めて、「あれは何んや?」とそれぞれが驚ろいて、凍結したように固まっていました。
その光体の実際の大きさは把握できませんでしたが、僕にはかなり大きな洗面器を逆さにした楕円型の物体に見えました。その物体はかなり強い光体で、クルクル回転しながら、停止していたのです。
仲間の何人かはその光体に恐怖を覚えたらしく「怖い!」と叫んで逃げ腰になっている者もいました。僕は怖いという感情は全くなく、むしろ神秘的で心地いい光体に思えました。とその時、光体が突然川上に向って、移動して、30メートルほど先きで停止したのです。元の場所から移動する時、長い光の尾を引いて、その光体が静止すると同時に光の尾がその物体に吸収されたように見えました。そして移動した所で再びクルクル回転したかと思うと、次の瞬間、この光体は天に向って物凄いスピードで上昇して、あっという間にわれわれの視界から消滅してしまったのです。
この頃はUFOという言葉もなく、「空飛ぶ円盤」と呼んでいました。そんな空飛ぶ円盤も今日のUFOのように、テレビで放映されるような時代ではなく、SF物の科学小説などで時々登場する程度で、今日のような社会的現象として紹介されたり報道されることも全くない時代です。
空飛ぶ円盤らしい光体を見たその夜は、布団の中に入っても、あの光景が頭の中に強く印象されて、一向に眠りにつけなかったことを記憶しています。その夜、両親にこの光体の目撃談を話したかどうか記憶にありませんが、きっと話さないまま寝てしまったように思います。
翌日はきっと昨夜の光る物体の目撃談でクラス内は大騒ぎになるだろうな、と予想していたのですが、昨夜、一緒にいた仲間の中でこのことについて語ろうとする者はひとりもいないのです。あんなに大騒ぎしたり怖がったにもかかわらず、昨夜のできごとなどなかったかのように、いつもと変らないので僕もわざわざ話題にすることはありませんでした。
その数年後、同窓会があった時に、あの現場にいた連中の前で、思い切って、あの夜の光景に遭遇した時の話をしました。
ところが、あの現場にいた誰ひとりあの夜の記憶がないのです。「そんなことあった? 知らんな」と異口同音に語るだけで、その挙句「夢見とったん違う?」とまでいわれてしまいました。その時僕は、彼等は完全に記憶をブロックされているな、と感じました。あのような光景に遭遇することは僕の一生の中でもそう何度もある体験ではないと思ったのですが、実はその後の人生で今日までに、これ以上の体験を度々するようになったのです。
あの夜の目撃で、鮮明に記憶した僕に対して、他のクラスメートが誰ひとり記憶していないことを知った時、僕はあの光る物体の背後に、何か意志を持った存在が関与しているような予感を抱きました。それ以来、このわれわれの住む世界とは分離したもうひとつの世界、それは必ずしも地球外惑星の世界に限らず、われわれの身近かに、知らず知らず接触する何かの存在をしばしば感じます。
それは必ずしも生命体でなくても大自然の未知なるもので、現在の地球科学でさえも解明されていない、広大無辺の肉体感覚を内在しながら、決して知覚認識できない世界というか宇宙とつながっているもののように思います。そのつながっているツールは人間の最も深い奥底で、西洋でいう深層心理よりもさらに深い、例えば唯識論での阿頼耶識(あらやしき)のようなもの、さらにそれ以上のまだ人類の誰もが解明していないそんな宇宙意識であって、実は人間とそれは綿密に結びついている、そんな風に僕は思うのですが、これ以上のことは僕の浅学非才な意識では語れません。
いつか、上に書いたUFOの体験を越えた経験について語る機会があるかどうかは未定です。なぜならもっと突飛な話になってしまうからです。生前三島由紀夫さんが「横尾忠則論」で語ってくれた文章の一部をここに抜粋します。あとはご想像におまかせします。
「人の一番心の奥底から奥底への陰湿な通路を通った、交霊術的交流なのだった。(中略)尖端的な通信手段であるところの、心と心との交流、すなわち心霊術に基づいているからである」